民主主義は敵か味方か。

民主主義は敵か味方か。

民主主義は敵か味方か。



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先日韓国の電子行政に関するセミナーに行きまして。
韓国の行政システム、スゴいんです。世界最高レベルなんです。
例えば住民票。家にいながらにしてネットで申請して家のプリンタで出力できる。無料。
戸籍謄本とかも同様。しかも海外からでもOK。わざわざ役所の出張所とかに出向く必要がない。

ITってこういうことだと思う。
「ぉおおお、すげえ!便利!!」的な。それはGoogleもTwitterもそうだと思うし、銀行のATMも行政サービスも同じ。
一方日本ではようやく役所も土日に営業したり主要駅に出張所開設したりして大昔よりはだいぶマシになったけど、まだまだ全然不便。
そこに行かないと手続きできないし、待たされたりするし、手続きによってはお金かかったりするし。
いや、それは当然私どもITベンダにも責任の一端は少なからずあると思うんですが。

ただ、そのセミナーを聴く中でふと思った。
電子行政の推進を阻害しているのはITベンダではなく、官僚機構でもなく、まして政治家でもなく、実は我々国民なのではないか?と。
その国民の民意を集約して機能する政治体制である民主主義自体が阻害要因なのでは?と。
この点についてちょっと考察してみたい。

まずは韓国の電子行政の成功要因から。

いくつかあるけれども結局大きいのは「大統領の強権発動」。
90年前後に行政の電子化に向けたロードマップを策定した後、直ちに電子政府法という法律が制定された。
その内容を一部抜粋すると下記のようなもの。

[quote]公務員は、電子的に業務を処理する場合、国民の便益を行政機関の便益より優先しなければならない。(第5条3項)
行政機関の業務処理工程は、国民が負担しなければならない時間や努力を最小化するよう設計されなければならない。(第6条)
行政機関は、ソフトウェアを開発する場合、重複開発とならないよう必要な措置を採らなければならない。(第13条)[/quote]
こういう基本ポリシーを定めつつ、さらに「公文書は基本電子じゃなきゃダメ」とか「一度国民がどこかの省庁に提示した情報はどの省庁も再度提示を求めちゃダメ」とかも定めている。
これによって官僚機構の行動はほぼ規定される。だって従わないと法律違反なので。
さらに大統領は課長クラスまでの人事権を掌握してるので、従わないと法律違反な上クビ、と。
その上ちゃんと個々のタスクを規定して進捗管理、PDCAを回すことで結果出さない人も納期遅れた人も責任追及。
てことで役人はちゃんと動く。
それに伴いベンダーもちゃんと動き、それによって利用者は増える。

一方でこの強権は間接的に国民に対しても行使さていれる。
例えば「公文書は基本電子じゃなきゃダメ」という条項は当然発行元である行政機関の行動も規定するが、同時にその受け手たる国民の行動も規定する。
この場合「パソコン持ってない国民はどうすんの?」という疑問が生じるが、韓国の場合は駅などの主要なランドマークにキオスク端末を配置、ここからアクセス出来るようにしている。

集団としての国民、換言すれば大衆というものは適当である。概して合理的ではない。

例えば「国民ID」。
昨今の消えた年金問題や、子ども手当の支払いコスト削減、その他ワンストップ行政サービスの実現には国民ひとりひとりを一意に識別する「国民ID」は不可欠。
しかし「国民総背番号制」「監視社会」「名前の代わりに番号で呼ばれるように」「人間性の欠落した社会」などと揶揄され、結果として住基ネットにおける住民票コードは不完全な形に留まった。総背番号がイヤなら年金が消えるのは甘受しなきゃいけないなのに。

これはリスクに対して不完全に敏感だからだ。
「不完全」と言ったのは、完璧にリスク回避的ではないから。気づかないときは気づかない。
例えば国民が利用する行政システムを検討する際、必ずと言っていいほどそして過度と言っていいほどセキュリティリスクについて検討される。
この時、電子化以前の行政窓口での簡易な本人確認はなりすましのリスクが多いにもかかわらず、電子化となると猛烈にリスク回避的になる。
これはGoogleストリートビュー問題も似ている。街中で写真撮ってサーバにアップしても誰も怒らないのに、ストリートビューだと猛烈に反発する。
もちろんセキュリティリスクに関する検討は必須だけれども、現実世界におけるリスクと電子世界におけるリスクを客観的に評価して冷静に対応しているとは言いがたい。

で、そんな敏感な危機感を増幅しているのがマスコミ。
華氏911」でマイケル・ムーアが述べているところによれば、マスコミが一番儲かる=一番視聴率が取れるのは「危機を煽る」ことだという。
だからマスコミは頻繁に「凶悪犯罪の増加→ヤバいよヤバいよ!」「若者の◯◯離れ→ヤバいよヤバいよ!」などという。
他人の不幸は蜜の味っつーのもあるだろうし、危機感で訴える生存欲求が最も購買につながるっつーのもあるだろうし。
で、「電波利権」のレビューでも述べたけれども情報収集源をテレビラジオ新聞雑誌というマスメディアに依存することによってその危機感はどんどん高まる。
高まった結果「なんとかしろー!」という。

そこに敏感に反応するのは政治家。
どうやら日本の政治家はスキャンダル耐性が異様に低いらしい。
確かにサルコジやベルルスコーニを見ていると日本の首相とのスキャンダル耐性の差に愕然とする。(どっちも両極端かもしれないけど)
結果、すぐ辞めちゃったり辞めさせられちゃったり、すぐ政策方針を転換したりする。
仕方ない、彼らだって働いて給料もらわなきゃいけない。失業なんてご免だ。

ここで僕は誰かを責めているわけではない。
みんなただただ自分の本能や欲求に素直に生きているだけだ。それはそれでしょうがない。
でも、そうであるがゆえに民主主義に限界があるのではないか。

この民主主義の限界に対して述べた有名な一言がウィンストン・チャーチルの言葉。

[quote]これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。[/quote]
一応チャーチルは「民主主義がワースト、でも今までの中ではベスト」と言っているが、これに対してプラトンと宮台真司はNOと言っている。
曰く、「哲人政治」と「卓越主義的リベラリズム」。
どちらも要するに高等な知見とスキルを持ち高い倫理観を備える所謂「エリート」が民意に左右されることなく迎合することなく政治を執り行なう「独裁体制」のススメ。
「独裁」と聞くと「大量虐殺」などのネガティブイメージが頭をもたげてギョッとするけれども、人類の歴史を紐解いてみると結構民主制と独裁制との間をゆらゆらと漂っている。

さて、話をもとに戻すと、韓国が行政の電子化において大成功を収めたのは、ある種の「独裁制」を敷いたからではないか、というのが僕の意見。
他に香港やシンガポール、電子行政に限らずとも国家運営においてうまくやっているのはベルギーやスカンジナビア系などの小国であり、これらは経済的に弱小な立場から独裁的トップダウン手法によって戦略の選択と集中を行ない、台頭してきたのではないか。

景気低迷の期間が長く続き今だに日本経済は浮揚の道筋も見えていない中、国家予算は年々増加し国債発行額も1,000兆円に届こうとしている。
借金を返すには収入を増やしてコストを減らすことによって利益を増やすしかないので、急速な行政の電子化によるコスト削減は急務。
ただしその電子化に向けてはITジャーナリストの佐々木俊尚氏が述べたIT利用の強制のような強力な推進力が必要。これをトップダウンと言ってもいいし、独裁と言ってもいい。

河野太郎が、「まともな政治家がいないので白票を投じた」と言った有権者に対して言った言葉

[quote]手を挙げようとしている人間がろくでもないというならば、彼らに×をつけて非難するのではなく、自分が手を挙げる。それが民主主義だ。自分が手を挙げる覚悟も勇気もなくて、手を挙げた人間の悪口を言って事が済むほど世の中は甘くない。[/quote]
自分で手を挙げる覚悟も勇気も持たない者は、そもそも一部の独裁者に政策選択と遂行をお任せしちゃえばいいんじゃないのか。
その方がみんなにとって幸せだったりしないのか。