異国の地へ。

異国の地へ。


ご存知の方も少なくないと思いますが、海外で働くことになりました。正式な発令が出たのはつい先日ですが、もうかれこれ半年くらいこっちで働いています。
勤務地はインドネシアの首都ジャカルタ。
インドネシアという国はまだまだ日本ではメジャーな方ではないと思いますが(実際僕も赴任が決まるまでよく知りませんでした)、こちらの書評にも書いたとおり実はスゴい国です。
人口は日本の約2倍、世界でも有数の親日国であり、自動車とバイクの市場はその95%を日本製品が占めています。一般消費財でも日本製品の浸透度は高く、味の素やポカリスエット、ヤクルトは既にこちらの人々の生活に欠かせないものになっています。さらに、携帯電話が急激に普及した結果、携帯電話利用者数は2009年時点で既に日本より多く、TwitterやFacebookの言語別利用者数はインドネシア語が英語に次いで世界第2位。一人当たりGDPもようやく3,000ドルを超え、今なお年率5-8%で経済成長中。これまでは新興国として”BRICs” (Brazil、Russia、India、China)の4ヶ国が有名でしたが、昨今はここにインドネシアを加えて”BRIICs”と呼ばれるまでになっています。
つまり、インドネシアは絶賛成長中の非常に魅力的な国というわけです。

そんなインドネシアで少なくとも1年半働くことになったわけですが、今回はなぜ海外赴任をすることになったか、何を考えて赴任を希望したか、それをちょっぴり整理してみたいと思います。ただの個人的感情の吐露に過ぎないので、興味のある方だけ読んでください(笑。

まず、海外を志望した直接のきっかけは、30歳になる直前の段階で描いていたキャリアプランが白紙になったことでした。
何もモノを考えずに就職した僕は、20代半ばにしてようやく自分のアタマでものを考えられるようになりました。(これに関する詳細はこちらのエントリーを参照)つまり、僕は20代半ばにしてようやく自分のアタマで、自分の人生、自分のキャリアについて考えることを始めたというわけです。
日々の漠たる不満はどこから来るのか、自分は本当はどうなりたいのか、何を成し遂げたいのか。生まれたての子ヤギのような脳ミソでガクガクブルブルしながら必死に考えた挙句、27、8の頃にはおぼろげに自分のキャリアプラン、目指したい道が見えてきました。それからはその道に向かって一生懸命頑張ってみましたが、その結果は「×」。それは「努力がちょっと足りなかった」とか、「能力が少し不足していた」とか、そういうレベルではありませんでした。自分では適性があったと思っていたその道でしたが、結果として適性がないことを痛感。あまりにはっきりと彼我の差を認識できたせいか、結構あっさりしたキモチでこの道を諦めることができました。まあ諦めざるを得なかった部分もあったのですが……。

では、次にどうするか。次にどの道を目指すか。その前に、自分に今何ができるのか。自分の強みとは何か。

ふと気づくともう年齢は既に30。もはや第二新卒だと言ってポテンシャルだけで未経験分野にトライできる年齢ではない。かと言って、レバレッジを効かせてジャンプアップできるだけのスキルストックもない。
Job Descriptionもない求人に応募し、会社に求められるがままに、言い換えれば何も考えないままに一生懸命努力してきた結果、僕は所謂日本的会社人間になっていました。組織を転々とし、行く先々で求められることをする。会社にとってはある程度便利に使える人材にはなっていたと思いますが、その一方で自分の中に「おれはこの分野については強い」と胸を張って言える専門性は全く培われていない。技術について特段詳しいわけでもない、営業として卓越した業界知識があるわけでもない。

一方日本の経済は停滞するばかり。グローバリゼーションは否応なく全ての企業、個人を巻き込み、20年先、10年先でさえ現状の水準の給与を維持できる保障はない。世界はフラット化し、職の全ては二極化が進む。即ち労働時間が決まっておりプレッシャーが少なく職を失うリスクが低いものの賃金が低い労働集約型ジョブ、そして賃金は高い一方労働時間に制約はなく常にハイパフォーマンスを求める圧力にさらされ結果が出ないと職を失うというリスクがつきまとう知識集約型ジョブ。日本人の賃金が世界的に見て後者である以上、現在の給与水準を維持するためには後者を選択するしかない。でも今はそれに足るだけの専門性、プロフェッショナリズムを自分は持っていない。

同時に、その後者の世界では国境をまたぐ協業がどんどん進む、加速する。異文化圏の人材との協業は日常茶飯事になり、語学力はもはや強みではなく前提条件になりつつある。英語を話せない、それは現時点ではまだ自分の希望するポジションにトライできる機会がちょっと減る程度のことかもしれませんが、近い将来英語を話せないことは限られたポジションしか担えないという現実が訪れる。

こんな現状に今さらながら気づいた時、そんなことはだいぶ前からわかりきっていたことではあったはずですが、やはり愕然としました。
自分はもう30歳。このままではヤバい。なんとかしなければならない。

なんだかものすごい湿っぽーい話になっていますが、これが偽りない真実。これまでの僕の人生におけるモチベーションは、多くの場合において「危機感」「焦燥感」でしたが、上記の通り今回の選択もご多分に漏れず。要するに30歳の頃の僕は異常な危機感に苛まれていたわけです。そんな僕の眼前に急にぶら下げられた鴨&ネギ。悩む間もなく僕はこの話に食いつきました。

新しい環境に身を置いてから約半年が経過した今、数年前に描いていたプランに代わるような新しいキャリアプランはまだ全く描けていません。しかし、今はとても幸せです。
とはいえしんどい。結構しんどい。これまでずっと営業だったとはいえ今アプローチするほとんどの会社は経験のない業界だし、開発、保守、人事労務、総務、財務、法務などなどわからんことばかり。とはいえ次々にタスクや課題は降ってくるし次々に意思決定してそれらを捌いていかなきゃいけないし。これまでロクに後輩や部下がいたこともなくただただ自分の生産性向上だけを念頭にプレーヤーとして頑張ってきたワークスタイルは、自分の生産性向上なんてものは誤差で組織の生産性をどう向上させるかというマネージャーのワークスタイルへの急転換を求められている。
なんだかよくわからない国でなんだかよくわからない仕事をなんだかよくわからないままただただこなしていく日々ですが、日々チャレンジの連続。でもこんな忙しい状態はのたうちまわるような無力感に苛まれるヒマヒマ状態に比べれば数億倍マシ。
短い期間ではありますが、精一杯頑張ってとりあえず「海外で生き延びた」ということくらいはキャリアアセットに加えたいと思います。

そしてもう一つ……こちらに滞在中絶対こっちのクラブで1度くらいDJしたいと思います!