現行政治体制の問題。

現行政治体制の問題。


最近日本の政治の質の低下についてよく耳にします。
本当に過去に比べて政治の質が低下しているのかどうかは過去をリアルタイムに生きていないのでよくわかりませんし、他国に比べて劣っているかというとどうやらどこの国も五十歩百歩のような気もしますが、一方でなぜこのような状況に陥るのか、これからどうしたらいいのか、という点も気になるところではあります。

そもそも政治とは何か。

ふと思いつくのは三権分立です。曰く、司法、行政、立法という三権がそれぞれに独立し且つ互いを牽制する鼎立状態にあること。このうち司法は裁判所が担い、行政は内閣が担う。そして立法は国会が担います。
「政治家」を「国会議員」であると理解すれば、政治とは国会が担う立法によって資源配分をコントロールするものであると考えられます。

この三権は、実はじゃんけんのグーとチョキとパーのように、全く対称に存在しているわけではありません。
立法の前に行政はなく、行政の前に司法はない。つまり立法、行政、そして司法はその役割故にそれぞれ先行後行関係がある。司法が行政の監視を担うものであり、行政が制定された法に基づくオペレーションだとするならば、この三権の中で先に立つのは立法。いわば立法はPlan-Do-Checkの中のPlanにあたると言えます。そしてDoとしての行政が続き、最後に司法のCheckがある。

三権の中で立法が最も先に立つものである一方で、実はこの三権の中で資格要件が最も緩いのも立法です。司法を担うには司法試験に合格した上で一定期間の職務経験が求められる。行政については、管理者たる大臣を除く官僚は基本的に国家公務員試験ないし地方公務員試験を合格した人しかなることができません。つまり司法についても行政についても、当該分野に関する最低限の知識や経験が求められ、その資格要件を満たしたものしかそれを担うことができない。

しかしながら立法、つまり国会議員にはそのような知識や経験を問う試験などがありません。もちろん選挙という最大の選考はあるものの、試験や面接といったものはない。さらに選挙では一定の資格要件、価値判断基準に基づき能力の有無を問われるわけでもなく、時代の趨勢、国民の間に横たわる「空気」に多分に左右される。
資格要件の緩さはすなわち門戸が広いことと同義であるため、国民に対して機会が与えられているという点は民主主義という観点から見るといいことだろうと思います。その一方で、実質年齢制限しかない現状はいわゆるタレント議員といった知名度だけでその資格を得る者や、「減税」や「脱原発」というようなワン・イシューで当選する者が現れる可能性も否定できない。
マネージャがすべての専門知識に精通している必要はありませんが、ある程度適用可能な専門性がないとやはり適切な立法機能は果たせないのではないでしょうか。

立法の問題点としては、その資格要件の緩さに加え、雇用安定度の低さも挙げられると思います。
司法や行政は大手企業よりも安定した身分保障制度に守られています。彼らが失職することはまずない。その一方で立法を担う者は選挙の結果次第で、誤解を恐れずに言えば国民の気分次第で失職してしまう可能性もあり得る。彼らだって人間であり、家族がいる。当然飯の種は稼がねばならない。
このような雇用の不安定は、票欲しさ故に、つまり失職したくないが故に、政治家がポピュリズムへ傾倒してしまう一因になっていると言えます。しかし本当に雇用の不安定さが問題なのでしょうか。

大企業のCEOや外資金融機関のトレーダー、コンサルタントなどのプロフェッショナルらについて考えてみると、彼らも概ね同様に雇用の不安定さに直面しています。彼らの報酬は非常に高く、またその仕事はやりがいもあると思いますが、しかしながらハイプレッシャーであり且つ結果が出なければ常にクビというリスクがつきまとう。そこには自分のパフォーマンスで自分の身分を自ら保障していかねばならない厳しい現実があります。しかし彼らがポピュリズムや上司への媚びへつらいに傾倒して堕落していくかと言えばそうでもない。つまり雇用の不安定さは必ずしも人々が目先の利益を追わざるをえなくなるほどの強いドライバでもない。

ではなにが問題か。問題は評価者ではないか。
プロフェッショナル職の場合、その評価者は顧客であったり上司であったりします。顧客は当然適正価格で適正なサービスを求める。そして顧客は多くの場合自分の要件を理解している。上司の中には温情で部下を評価する人もいるかもしれませんが、企業である以上最終的にはそのパフォーマンスは市場によって評価されるため、不当な評価をする上司は淘汰されます。結果としてトレーダーやコンサルタントの上司は部下を公正に評価せざるを得ない。
一方、政治の場合はどうか。
資格要件も、雇用の安定も、彼らの職の先行きは我々有権者が握っていますが、しかしながら我々は彼らの評価者たる自覚を持っていると言えるのか。立法を任せることができる人材には何が必要かを考え、眼前の候補者がその要件を満たしているかどうか、責任感を持って考えているか。政治の場合は多くのプロフェッショナルサービスと異なり、個々人のパフォーマンスが見えにくいし、成果と評価の間に小さくないタイムラグもあります。これ故に評価が難しい。
この結果、選挙は縁故採用、ないしは目立った者勝負のどちらかに収斂していく。
前者は、所謂政党支持です。どこの馬の骨ともわからん候補者に票を入れるよりは、大きな政党の支持を受けている候補者の方がまともな人材である蓋然性が高い。この場合自分で考える必要がないので有権者にとっては選考プロセスが非常に効率的に、ラクになる。一方候補者にとってもどうにか大きな票田を抱える政党の支持を得られればその選考は通過したも同然。従って政党の支持を得るための事前調整がモノを言う。政党が厳密な評価をすればこの方式は機能しそうですが、政党ですら時代の趨勢に流されると結果として適性に欠ける候補者を選定してしまう可能性も少なからずある。微妙な二世議員らが議員たりえているのはこういう事情が背景にあるのではないでしょうか。
目立った者評価はタレント議員等です。そもそも知名度の高い者、声の大きいものがそのまま当選していく。
どちらにしろ、問題の根幹は有権者の思考放棄です。

ではどうしたらいいか。
選挙を採用プロセスの一部と捉えるのならば、一般的な採用プロセスを選挙に持ち込んでしまう、というのも一つのアイデアではないでしょうか。
例えば複数回選挙。候補者にとっても一発本番の選挙はタフですが、それは投票者にとっても同様。よく知らない候補者に投票するという行為はある種博打のようなものです。企業の採用は書類選考、一次面接、二次面接と多段階選考であることが一般的ですが、これを同様に選挙にも適用してしまえばいいのではないか。まず書類で各候補者の政策をレビューした後、国民によって一次面接と二次面接を行う。例えば一次面接はグループディスカッション形式で候補者同士でディベートをしてもらってその内容に基づき投票、二次面接では各候補者の演説によって評価する。
インターンシップもいいかもしれません。副大臣や政務官クラスのポジションを一定期間任せ、その結果を踏まえた上で選挙を行う。
さらにジョブディスクリプションと人材要件を明確にすることも大事なことかもしれません。大臣等のポジションがそれぞれどのような職務であってどのような職責を果たさなければならないのか。そのために必要な知識、経験はどのようなものか。候補者はそれを満たしているか。新卒では採用活動においてジョブディスクリプションや人材要件が明確にされることはあまりありませんが、経験者採用では普通のことです。これを選挙にも適用してみる。

おそらく今ある選挙制度も、中選挙区制や小選挙区制という別はあるにせよ、ある程度の歴史を経て収斂されていった姿であり、一定の妥当性はあるのかもしれません。ただもし現行システムが破綻しかけているのだとしたら、思い切って新しいことを試みてみるのも一つの選択肢なのではないでしょうか。