多分世界の多くの人がディズニーランドが好きだと思う。
一方で、世界の多くの人がディズニーランドにいるミッキーマウスは実は着ぐるみで、中に人間が入ってることを知っていると思う。
でもさ、それってマナーであり約束なんだと思う。
ディズニーランドは「これがミッキーマウスです」と言うし、客は「これはミッキーマウスだ」と思う。
別に詐欺とか欺瞞なんてものではなく、その暗黙のマナーや約束の上にあの素晴らしいエンターテインメントの王国は成り立っているんだと思う。
Michael Jacksonも同様。
みんな彼がただの人間だって知ってるし、そんなこと彼自身も知っている。
人間であれば、調子の悪いときもあるし歳をとれば衰える。
それでも彼は持てる才能の全てを駆使して完璧なまでの素晴らしいパフォーマンスやエンターテインメントを生み出すし、オーディエンスも彼が生み出した世界に完全に身を委ねて思う存分堪能する。
だからこそあれだけの素晴らしい時間や空間を共有できるのだと思う。
「ミッキーマウスの中身が実は人間で、でもその彼はエレクトリカルパレードやその他のショーを演じきるために人並みはずれた努力をしてました。」なんて話は、ミッキーマウスを演じた彼に対する冒涜なんじゃないか??
だって彼は「いやー、君のパフォーマンス、まるで本物のミッキーマウスのようだったよ」なんて言われたくないんだもん。
本物のミッキーマウスになろうとしたんだもん。
確かに。
ロンドン公演に向けてあれだけ作り込んだセット、映像、スタッフ等々はとてもコストがかかっただろうし、少なくともその投資はなんとか回収せねば、というのも経営側の意図としては理解できる。
Michael Jacksonとの仕事に抜擢され、感激、興奮し、仕事に打ち込んで来たスタッフ達が、特に自己顕示欲が強い方でなくともその名をどうにか残したいと思う、「おれは彼と仕事をしたんだ!」という証を残したいと思う気持ちもわかる。
エンターテイナーとしての側面を生で目の当たりにできる最後の機会だったロンドン公演を彼という存在もろとも奪われたファンにとって、晩年ゴシップにまみれてどんどん存在が幻みたいになりぼやけていった彼の真実をもう一度確認したいというファンの気持ちも、一ファンとして共感できる。
でもさ、やっぱりこれは公開しちゃいけなかったと思うな。
この映画の裏にある商業主義を指弾するこんなサイトもあるけど( なぜかトップページはなくなってる)、それとはまたちょっと違う気持ちで。
相手の全てを知ることばかりが愛情じゃない気がする。
もう少し生きていて欲しかったなあ。
付け加えると、Michaelの死後、世論が一斉にMichael礼賛に傾いているのが個人的にはとても複雑な気分。
Yahoo!映画やmixiのMichaelコミュニティにも「This Is Itを見てMichaelの素晴らしさを知った」という書き込みが数多く見られるし、メディアも揃って彼のこれまでの功績を報じる。
もちろん彼が世の中に肯定的に受け入れられることはとても喜ばしいことだけれども、整形をはじめとするこれまでの彼の奇行、さらに1993年/2003年の少年に対する性的虐待事件に対する世間の反応を思い起こすと、この肯定的な感情もまた一過性のものに過ぎないのではないかという疑念が拭えない。
またそうであるとしたら、結局は以前と変わらず刹那的かつ表面的な好奇心で彼を弄んでいるにすぎず、むしろ表面的には彼に対する敬愛の念を示している分、今の方が質が悪いかもしれない。
色んな本やWikiによると、やっぱり彼はとても深いコンプレックスを抱えた人で、シャイな性格や整形癖というネガティブな側面のみならず異常なまでの(あえてこう表現するけど)博愛主義も地球や子供達に対する愛情も、彼自身のコンプレックスの現れだと思う。
でも考えてみれば、5歳でデビューし9歳の時点ではアポロシアターでパフォーマンスしているわけで、要するに物心ついた時は既に絶えずメディアの圧力に晒されて生きてきたわけで。
そりゃ物心ついた時からあらゆる雑誌に「ニキビ面ひどい」なんてこと書かれたら凹むのが普通だし、当然大きなコンプレックスを抱えることになる。
で、結局そんなメディアも、性的虐待をでっち上げた少年&父親も、未完成品にも関わらずThis Is Itの上映を判断した人も、彼のコンプレックスなんてさておきみんな金目当てなわけで。
それは我々消費者が金を払うからで。
そう考えると、彼を殺した責任は我々一人一人にあるのでは?と思えてくる。
彼の音楽よりも彼のゴシップに目を向けてしまったから?
アルバムを買うよりもワイドショーの視聴率を上げてしまったから?
結局、僕が今世間に感じる違和感ってのは「加害者が被害者に同情する」ような、「殺したヤツが殺されたヤツの死を悼む」ような、しかも彼らは自分の罪を自覚せず自分が善だと信じ込んでいる、そんな感覚なんです。
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