日本が誇るハウスDJ木村コウさんのマネージャ、世界のエリコ様の指摘。
ロックというオーバーグラウンドなジャンルにおける淘汰の速さを感じつつ、同様の現象がダンスミュージックにも起きているとのこと。
その上で自分がいいと思うものを長くサポートすることが重要であると指摘しておられます。
以下、エリコ様のブログより引用。
[quote]フジロックもしくはサマソニに出演決定するとだいたいどのバンドやアーティストも「おぉ~!スゴイじゃん!」って感じにるんですけど、その後翌年もその次の年にもどっちのフェスにも出てなくて、もちろん単独公演もなくて、すっかり忘れられてしまうバンドって世の中に本当に星の数ほどいるんだ~って思う。
(中略)
クラブ業界で最近呼ばれるゲストDJはどれもこれも私にとってはわからない人たちばかりで(こんなことハッキリ公の場で言っていいのかわかんないけど・・・)、「Beatport top 10に何週間も入ってた」「B-pitch controlとMoon HarbourとCadenzaと○○と○○っていうレーベルから曲出してる人」という説明を受けても「へえ、ふーん、そうなのね。知らなくてゴメン」としか言えない。新しい才能を発見して、スポットライトを当てて行くことはクラブ業界にとって重要な仕事。クラブは最先端のものを紹介していく場だし当然です。と同時に「これはいい!」と思ったものを長くサポートしていくことも重要だと私は思います。[/quote]
これはダンスミュージックが大量生産大量消費の時代に突入したが故の現象だと思う。
大量生産大量消費が可能になったのはITの普及がきっかけ。
情報技術の進化によってダンスミュージックにおける生産、製造、流通、消費プロセスは大きく省力化された。
例えば、以前は生産にはスタジオや高価な機材が、製造にはCDやレコードのプレス工場が、流通には販売網や店舗が、消費にはレコード/CDプレイヤーやクラブ等の場所が必要であり、そのそれぞれのプロセスにおいて一定以上のスキル、ノウハウ、労働力が必要だった。
各プロセスがこのようにコストやノウハウを要するものだったため、楽曲生産における限界費用は高く結果として戦略としては量よりも質にフォーカスする必要があった。
だって消費者が高い金出して消費し、流通がコストとノウハウかけて売りさばき、製造が設備投資して生産する以上、やっぱり相応のクオリティの楽曲リリースしないと売れないし元が取れないので。
一方ITの普及によりこの状況が一変した。
生産におけるスタジオはパソコン1台にとってかわり、製造工程は商材が電子ファイルになったため不要に(ジャケデザインくらいは必要だけど)、流通はリアル店舗からiTunes Storeなどのバーチャル店舗にシフト、そして消費はパソコンもしくはiPodがあれば手軽に大量に消費できるし、宇田川町のレコード屋に行かなくてもググってBeatportなどのオンラインショップを見つければ簡単に楽曲に出会えるようになった。
楽曲1曲の生産に必要な限界費用は大きく低減し、顧客も楽曲の購入において吟味をしなくなった。
要するに「質」から「量」への戦略のシフト、大量生産大量消費の時代になった。
この現象は音楽に留まらない。
きっかけがITか活版印刷かの違いであって、本や写真やゲーム等々すべてのコンテンツビジネスに言えること。
これらのどの世界でも共通して言えるのは、大量に生産され玉石混交状態になる一方で駄作はすぐに淘汰され、良質なクラシックはいつまでも消費され続けるということ。
そしてどの世界でもどの時代でも、良質なクラシックは知識とノウハウと思いと気合いなどなどがぎゅっと凝縮されている。その本質は常に一定でありながら、表層は時代に合わせて変化する。
だからこそ木村コウも冨家哲もSashaもJohn DigweedもDavid MoralesもDubfireも支持され続けるのであり、それ故新たにこの世界に入った人々も自分の「本質」にちゃんと向き合う必要があるのでしょうね。
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