「法令遵守」が日本を滅ぼす (郷原 信郎)

「法令遵守」が日本を滅ぼす (郷原 信郎)


村木事件。
ワイドショーを見ていて僕は検察と被疑者のどちらが正しいのかわからなくなった。
見方によっては被疑者全員が口を揃えて事実隠蔽。見方によっては検察の捏造による冤罪事件。
ただ、事件発生当初、世間の見方は圧倒的に前者が多かった。
「あの女官僚は悪いヤツ!」的な論調で報道されることが多く、従って国民の多くもそう感じていたように思う。
しかし村木厚子氏への判決直前は見方が真逆になった。「検察は捏造して悪いヤツ!あの女性官僚は悪くないのに!」
この絵に描いたような「世論の手のひら返し」は僕の目にとても奇異に映った。

歴史に対するアプローチと同様、何が正しいかを知るためには何が事実かを知らなければならない。
その上で、その事実を自分の価値観に照らして何が正しいかを自分で判断しなければならない。
一方で歴史もこのような事件も、我々一般市民がそれに関する事実を知る術はあまり多くない。
だって前者も後者も絶対に当事者にはなりえないので。
しかし、このように二次情報しか収集できない状況であるならば、可能な限り多面的に情報を収集し自分の頭で善悪を判断すべきだと思う。

でも、多くの人は盲目的だ。
彼らは多数派の意見、もう少し突っ込んだ言い方をすればマスコミによって喧伝された多数派の意見または「多数派の意見である」と報道された意見を盲信する。

例えば。
2010年10月14日の検察審査会の議決によって民主党元代表小沢一郎の強制起訴が確実になった。
しかし、小沢一郎が何の容疑で起訴されるかを正確に知っている人はどのくらいいるのだろうか。
ワイドショーのレポーターが街行く人にインタビューしてみると、多くの人は「起訴されるべき」と答えている。
しかしその論拠は「起訴=有罪ではないため司法の場で罪の有無を明らかにすべき」というものではなく、「起訴=有罪」という前提に基づいて「なんとなく悪そうだから」「よくわかんないけど絶対悪いに違いない」というものであったりする。
ちなみに検察審査会はこのような一般の人々で構成される。
審査員の選任方法に関する詳細はWikipedia等が詳しいが、簡単に言えば「一般市民の中からくじびきで選ばれた」のが検察審査会の審査員。
要するに「起訴相当だ!」と言っているのは法律に精通しているわけでもない「普通の人たち」なのである。
「普通の人たち」が何の罪かも詳しく知らぬままワイドショーの報道に引きずられるまま「悪いヤツ!」と叫び起訴に至らしめる。
「起訴=判決前=推定無罪」という近代法の大原則はさておき、「起訴された=悪人だ!」と考える。
本当にそれは正しいのだろうか?

さて、ここで僕は村木事件の判決や小沢一郎に対する検察審査会議決の是非を述べたいのではない。
僕が言いたいのは、要するに何事も盲信すべからず、ということだ。
まさにそれについて述べているのが元東京地検特捜部の郷原信郎氏が書いた本書である。

本書はライブドア事件や村上ファンド事件、姉歯建築士の耐震偽造問題等を例示しつつ、実態と乖離している法令を盲目的に遵守しようとすることの危険性、さらにその法令が実態と乖離していようがいまいが「法令を遵守している限り万事OK」というスタンスをとることの危険性を説いている。
郷原氏は本書でこう述べている。

[quote]法令の背後には必ず何らかの社会的要請があり、その要請を実現するために法令が定められているはずです。だからこそ、本来であれば企業や個人が法令を遵守することが、社会的要請に応えることにつながるのです。[/quote]
しかしながら社会は変化する。従って社会的要請も必然的に変化する。
この社会的要請の変化に沿う形で法令も常にブラッシュアップされなければ、法令と社会的要請はどんどん乖離し、その法令は社会的要請に応えられないものとなる。
その典型例として、著者は個人情報保護法を挙げている。

本書にもあるように、本来個人情報保護法は情報化社会における個人情報の「活用」に着眼して制定された法律である。
(もし個人情報の漏洩を防止する目的で制定されたのだとしたら、企業による個人情報の取得等を禁止すれば済む。しかしそれでは情報化社会における不利益が大きすぎる。そのため、個人情報の「保護」を規定することによる安全な活用を促進すべく、本法令が定められている。)
しかしながらその「保護」という側面が「活用」という前提から乖離して一人歩きした結果、「JR福知山線の脱線事故の際に、被害者の家族が医療機関に肉親の安否を問い合わせたのに対して、医療機関側が個人情報保護法を盾にとって回答を拒絶した」という問題を招いた。
これは本来の目的と乖離した法令への盲目的遵守が招いた社会的不利益であると言える。

繰り返すが、僕は「郷原先生を信じろ!」と言いたいわけではない。
そもそも我々は人生を生きる中で、幾度となく「法は犯してはいけない」と学んできた。それはそれで事実だ。法を犯したら罰せられるのだから。
しかしその一方で、「制定されている法律は全て正しい」ということもいつの間にか信じこんで生きてきた。それが社会の実態に沿っているか検証することなく。
僕が言いたいのは、いつの間にか自分にこびりついているそうした固定観念を棚卸しすることのススメだ。
自分の判断を挟む余地なくいつの間にか思い込んできたパラダイム、そういったものについて、あえて反対意見にも目を向けてみつつ、その上でその後もそのパラダイムを信じ続けるのか、考え直すのかを自分の頭で判断すべきということだ。
それは上述した村木事件や小沢起訴、さらには子ども手当の配布や高校無償化、さらに「大学には進学すべき、進学したら卒業すべき」というテーマや「いい大学を卒業していい会社に入るべき」というテーマなど、当たり前と考えて盲目的に信じてきたもの全般にあてはまる。

この意味で、本書を通じてマスコミがこれまでほとんど報道することのなかったこうした「法令」に対する反対意見に耳を傾けてみることは必要なことなんじゃないかと思います。

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