「ストーリー」は悪くない。

尖閣に押されて最近報道が沈静化しつつある検察の話をもう少し引っ張ってみる。
村木厚子氏無罪判決とその後の前田検事逮捕に伴って批判報道が加熱したマスコミの姿勢に対して感じた疑問。

初めにストーリーありき「特捜体質」が生んだ前田検事

このニュースにて引用されている元検事で現在は「検察の在り方検討会議」の委員を務められている郷原信郎氏の言葉。
[quote]「大阪地検特捜部は郵政不正事件を『政治案件』と称して、政治家の働き掛けで厚労省幹部が現場の係長に指示をして、ニセ証明書を作成させたというストーリーを描いた。証拠の改ざんはとんでもない話なのですが、全体として、はじめにストーリーが作り上げられていたところに問題の根本があると思う。これを個人の犯罪として片付けてしまうのではなく、特捜部の捜査のあり方、特捜事件の扱いなどを含めて考えていかなければいけない[/quote]
本ブログでも郷原氏の著作を取り上げているし、郷原氏の検察批判や過度な法令遵守に対する批判について僕は基本的に賛同する立場だけど、上記のコメントにはいささか違和感を覚えた。
その違和感の原因は下記の一節。

[quote]はじめにストーリーが作り上げられていたところに問題の根本があると思う。[/quote]
ほとんどのマスコミ各社もこの主張に沿って検察批判を繰り返している。
巷に並ぶ言葉は「ストーリーありき、ヨクナイ!」の繰り返しだ。
でもちょっと待てよ。
「ストーリーありき」ってそんなに悪いことか?

そもそも「ストーリー」とは何か。
「ストーリー」を「仮説」と置き換えてみると、それ自体は何ら悪いことなんてない。
むしろ奨励されるべきこと。
ビジネスマンなら誰しもどこかで「仮説」を考えることの重要性を一度ならず聞いたことがあるはず。
この仮説思考について最もわかりやすく説明しているのが世界有数のコンサルティング会社ボストンコンサルティンググループの元日本代表である内田和成氏の「仮説思考」という本。
詳しい説明は本書を読んで頂くとして(個人的にとても好きな本の一つ!まだレビューしてないけど。)、「仮説思考」の概要を下記に引用してみる。

[quote]情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。
このように信じているビジネスパーソンは多い。
そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。
実際に起こることは何か?情報収集しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるをえないことになる。徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。
では、どうすればよいのか?
仮説思考を身につければよい。仮説とは、十分な情報がない段階、あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。常に仮の答えをもちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。[/quote]
そもそもビジネスシーンにおいては時間をはじめとするリソースは有限であり、従って判断に際して必要となる情報が100%手元に揃うことなんてない。
そのため現在手元にある限られた情報に基づき蓋然性が高いと思われる「仮の答え」を導き、それに基づき判断をすることが必要となる。
例えばパソコンがうまく動かない場合。なんとか原因を解明したい。
しかしながらパソコンがうまく動かない原因なんて無数にある。
ハードウェアに問題があるかもしれないし、ソフトウェアに問題があるかもしれない。またはネットワークかも。
ハードウェアといってもCPUかもしれないしメモリかもしれないしハードディスクかもしれない。
これらを一つ一つしらみ潰しに探せばいずれ原因に行き着くかもしれないけれども、実際はそんな時間なんてない。
てことでひとまず今手元にある情報、例えば「◯◯というアプリケーションをインストールしてからおかしくなった」とか「◯◯というエラーメッセージが表示された」とかを頼りに、ある程度の「あたり」を付ける。どうやらソフトウェアの問題だな、とかネットワークだな、とか。
これが仮説思考。

さて、では今回の検察の捜査において、何が問題だったのか。
それは「仮説検証のプロセスがなかった」こと。
もっと言えば「検証の結果出てきた反証を無視し、さらには仮説に合わせて改ざんまでして当初立てた仮説で押し切ろうとした」こと。

言うまでもなく「仮説」は「仮の答え」「仮の結論」。
つまりその仮の答えが間違ってる可能性だって往々にしてある。
必要なのは、その「仮説」に反する事実が見つかった場合に、その事実に基づいて仮説を修正することだ。
ソフトウェアの問題だなと思って色々調べてみたがどうも原因が見つからない。そこでハードウェアをチェックしてみたらどうやらハードディスクがおかしくなってる気配があった。
そうすると当初の「ソフトウェアが原因」という仮説を修正して「ハードウェアが原因」に切り替えなければならない。

しかし。
今回の村木事件においてはその逆が行われた。
要するに「ソフトウェアが原因」と思って調べていたらどうもそういう証拠は見つからなかった。そこで仮説を修正……するわけではなくソフトウェアを壊して自ら原因を作ってみた、つまりフロッピーディスクのデータを改ざんしてみた、というのが今回の事件における本当の問題。
仮説を立てたならば検証するのは必定。
で、検証の結果仮説を裏付ける事実があればオーケーだし、なければ仮説が間違っていたということでそれを修正するまで。
そんなシンプルなことが理解されていなかった。

さらに悪いのは、その「検証」というプロセスをマスコミ自体も持っていなかったこと。
「ストーリーありきの捜査、ヨクナイ!」という火が点いたら特にその内容を検証することもなくその方向で批判して批判して批判して……。
そんなマスコミにはそもそも今回の事件を批判する資格なんてないと思うんだけど。


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