ダイバーシティは没個性の先に。

ダイバーシティは没個性の先に。

ダイバーシティは没個性の先に。


現在クラブワールドカップが開催されています。
欧州、アジア、アフリカ、中南米など各大陸のリーグ覇者が世界一を決めるべくUAEで熱戦を繰り広げていますが、例年決勝は欧州vs中南米という組み合わせだったにも関わらず今年はアフリカはコンゴのクラブチームであるマゼンベが中南米覇者であるブラジルのインテルナシオナルを破るという番狂わせが起こり、イタリアの強豪チームインテルと決勝で戦いました。

さて、結局欧州代表が世界一の座を手にしましたが、その一方でこの試合を見ながらふと思ったこと。
「サッカーは完全にダイバーシティを許容している世界だな」と。
そこには人種だとか年齢だとかそのクラブチームに何年所属しているかは関係ない。ただただサッカーが上手く、点を多く決めたチームのみが勝つという極めてシンプルでフェアな世界。

僕は「ダイバーシティ」という言葉がキライです。
もちろん社会や組織は人道的観点からも効率的観点からも多様性を受容すべきであり、その意味で本質的なダイバーシティの受容には賛成です。
しかし、現在日本の社会、特に企業等において叫ばれている「ダイバーシティ」はその矛盾を解せずむしろ逆行する施策に熱心です。
その「言ってることとやってることが違う」感が、僕がこの言葉を嫌う理由です。

そもそもどうすればダイバーシティを受容できるか。

それは先程のサッカーの例を見れば明らかです。
それは単純に「点数を多く獲った者が勝つ」というシンプルなルールのみを遵守し、それ以外の個々のプレイヤーの個性や属性には目を向けないこと。一定のルールさえ遵守すれば、フォーメーションをどうしようがフォワードを何人置こうが若い選手ばかり使おうが、肌の色が白かろうが黒かろうが関係ありません。
これは結果としてプレイヤーやチームの多様性をもたらします。

もう一つ例を。
牛丼の「すき家」でお馴染みのゼンショーは、マクドナルドを抜いて外食産業において売り上げトップになったそうです。
ゼンショーが短期間でここまでのポジションに上り詰める要員の一つに、社員の「ロボット化」とも言うべき徹底した行動管理が挙げられます。
これについては橘玲氏のこちらのブログに色々紹介されていて興味深いのですが、一例を挙げると、例えば社員は商談の時間から歩くテンポ(「歩く時は1秒に2歩以上」)、さらに客が来店してから帰るまでの一連の動作を秒単位で完全に規定されているそうです(「丼を下げるときは、左手でトレーを持ち、右手で専用ナフキンを使って、肘から下を使ってテーブルをZ字に拭く」)。
また、新入社員は「ブートキャンプ」という合宿に送り込まれ、上述したような行動規定やゼンショー社員としての行動規範、価値観を徹底的に植えつけられるそうです。
それは文字通り「ロボット化」のようであり、まるで社員個々人の個性など関係ないかのよう。

しかし、興味深いのはここから。
ゼンショーはこのように社員の行動を完全に規定するが故に、どのような人間でも社員に採用し、評価します。
新卒だろうが既卒だろうが、日本人だろうが外国人だろうが、健常者だろうが障害者だろうが、性的マジョリティだろうがマイノリティだろうが、ゼンショーの行動規定、行動規範に基づいて行動する以上は何も関係ありません。
結果としてゼンショーは多様な人材が働く組織となります。

これらの例から得られる示唆は、つまり「多様性を許容するには、参加者全員に対して適用するルールを統一すること」です。
それは野球のバッターなら「1シーズンに売ったホームランの数」かもしれないし、営業マンなら「半期における売上額と利益率」かもしれない。
いずれにしろ全員に共通する決まったルールで全員を平等公平に評価する。
性別や年齢、国籍や人種なんて関係ない。その基準を満たした人が評価され、その基準を満たさなかった人は評価されない。
つまり、そのルールに関係ない属性や個性を完全に排除し、いかなる恣意性や情状酌量も介さず、個人をただ「売り上げと利益率」のみで捉えた時にようやく本当のダイバーシティが成立するのだと思います。

一方、現在多くの企業が推進している「ダイバーシティ」はこの逆に向かっています。
例えば、昨今よく言われているのは「日本の企業は女性管理職が少ない」という点。
これは既にジェンダーのみに着目している時点でアンフェアであり、ダイバーシティの観点からはNGです。
「女性管理職が少ない」のなら、「外国人管理職」はどうでしょう?「障害者の管理職」は?なぜ他の属性を問題にしないのでしょうか?
そもそも「少ない」とは何を基準にしているのか?
欧米の水準と比較して?「管理職の男女比率を欧米と同じにすること」が「ダイバーシティ」なのでしょうか?
政治的経済的宗教的文化的バックグラウンドが異なるのに?「同じにすること」が「多様性の推進」?
僕には意味がわかりません。

もちろん現在「ダイバーシティ」という言葉が叫ばれるに至った背景について、僕も理解しているつもりです。
これまでの日本経済では基本的には男性優遇であり、女性の昇進等は不当に阻まれていた過去があった。
男女の機会均等を目指してそれを是正するとともに、少子高齢化に伴う将来の生産人口減少にも対処すべくこのアンバランスを是正する必要が生じた。
これが現在の「ダイバーシティ」推進に至る背景の概略だと思います。
しかし、「男性優遇」への対する是正処置としての「女性優遇」はまた新たな偏りを生むだけではないでしょうか。
繰り返すようですが、僕自身もアンフェアな優遇、不当な差別は排除されるべきだと考えています。
しかしそれを是正するための措置は「不遇を託ってきた人々を優遇すること」ではありません。

てことで企業において「ダイバーシティ」を熱心に推進するご担当者各位は、早くこのことを理解してフェアな採用の仕組み、業績評価の仕組み、昇進の仕組みを作ればいいのにな〜、と思う次第です。

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