偽善エコロジー (武田 邦彦)

偽善エコロジー (武田 邦彦)


直感と事実が異なることは往々にしてあります。

例えば天動説と地動説。
今となっては「地球が動いてるんでしょ、当たり前じゃん」と誰しもが考えていると思いますが、一方で昇る太陽や沈みゆく月を眺めながら「おおお、地面が動いてるぜぇぇ!」と感じている人はどれだけいるのでしょうか。
もし義務教育の段階で地動説を常識として教わらなければ、誰しもが中世の人々のように「天が動いてるに決まってんじゃん!」と思ったことでしょう。
これは直感と事実が逆だった例です。

また、「焦げたものを食べるとガンになる」という話。
これももはや都市伝説として有名ですが、ガンを発症するためには焦げたものを毎日バケツレベルで大量に摂取しなければならないそうです。
逆に言えば、焼肉を食べている時にちょっと焼きすぎて焦がしちゃった肉を食べるとか、トーストしすぎたパンを食べるとか、そんな程度はまるで問題なし。こんなことを言い出すとほとんどの食物には微量であれ発ガン物質は含まれているので、何も食べられなくなるそうです。
これは直感ほど事実は大したことがないという例。

さて、昨今「エコブーム」であり環境に配慮する意識が世の中で高まっていますが、これに伴う「エコ」な活動というのもどうやら上述したどちらかのパターンに当てはまるようです。
まあ某自動車会社のCMで喧伝された「エコ替え」に「それってエコじゃなくね?」という違和感を感じた人は少なくないと思いますが、「直感的にはエコっぽい」行動も実はむしろ環境に負の作用をもたらすという「逆」パターンと、実はそんな行動環境保護になんのインパクトもないという「大したことない」パターンが多分にある模様。

そんな環境に関するウソについて説明したのが本書です。

例えば、「マイ箸ブーム」について。
一時期「割り箸は森林資源の無駄遣いだ!なるべく外食の時も自分の箸を持参して、割り箸の消費量を減らそう!」という「マイ箸ブーム」がありましたが、実はこれは森林保護につながるどころか森林破壊につながるとのこと。
また、「エコバッグブーム」も同様。
「スーパーで買物をする時にもらうレジ袋はゴミを増やすだけで環境負荷だ!自分のバッグを持ち歩いて再利用しよう!」という「エコバッグブーム」も、レジ袋の消費減少はむしろ資源の効率利用の観点では逆効果だそうです。

本書の中では上記のような「一見エコだが実は逆」とか「一見エコだが実はほとんど効果なし」という事例とその理由が数多く掲載されています。
残念ながらその一部はちょっと納得がいかない論展開だったりすることも少々ありますが、ただ本書の最後に記載されているメッセージには納得です。
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書籍や新聞、テレビなどで情報を発信する側は、公にされた知識や情報をつねに検証し、オリジナルなデータと思想を持つことが大事です。また、それらを受け取る側は、「国が発表した数値だから」「新聞やテレビがそう言っているから」と安易に鵜呑みにせず、「なぜそう言えるのか」という問いを、どんな情報に対しても、一度投げかけてみることが大切だと思います。科学に限らず、私たちの世界はそのようにして進歩してきたのですから。
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エコにしても何にしても、世間で喧伝されているスローガンや言説を闇雲に信用するのはやっぱりヨクナイ。
例えば以前このブログでも少し触れた厚労省の村木元局長の冤罪事件。
当初マスコミは村木局長を「相当なワル」という体で報道し、多くの国民も「確かにワルそうな面構えしてやがる!」と盲目的にそれを信じました。そんな報道の一方で、この事件の判決は無罪、村木元局長に対する容疑は検察の捏造に基づく冤罪であったことが明らかになりました。

この事件が端的に示しているように、やはり周囲の言説を盲信するのではなく「自らの頭で考えること」「その際には根拠も考えること」「できれば客観評価を可能にするため定量化すること」、さらに「個別最適ではなく全体最適を考えること」というのは重要なことだと思います。

逆に言えば、現在の日本が安易に「エコブーム」に乗っかってしまうような状況は、単純に国民がこのように物事を考えるトレーニングを受けてこなかったことに起因するところが大きいのではないでしょうか。
我々日本人は幼稚園や小学校、中学や高校などの「社会」で生きる中、物心もつかない内から「先生の言ったことが正解」「なるべく他の子に合わせる」ということを刷り込まれてきました。
一方で、自分の意見を形成するための道徳や哲学の授業はおざなりにされ、論理を教えるべき国語の授業では物語の情景理解に重きが置かれる(厳密に言えばその時作者が何を考えてたかなんて誰にもわからないし、その解釈は様々なはずなのに。いや、これも重要だとは思いますけどね。)。
てことで、我々日本人がこのようなブームに乗ってしまうのは仕方のないことだと思います。

本書ではまるで悪の権化のように描かれているエコ推進者たる自治体や企業も、実は同様なのではないでしょうか。
本書では彼らが自らの利権や利益のためにエコブームを「でっち上げ」「不当に利益をむさぼっている」という存在として書かれています。
しかし本当に彼らは、水戸黄門に出てくる悪代官のように、良心を脇に追いやって策を巡らし、利益をむさぼる存在なのでしょうか?
そんな罪悪感に絶え、職場での顔と家庭での顔を使い分けられるようなタフな精神力と大衆を上手に騙す術を次々に思いつくずば抜けて賢い脳みそを持った人々がそんなに多いのでしょうか?

実は、彼らの多くも闇雲に似非エコロジーを信じる国民と同様、ただただ闇雲に信じているだけではないでしょうか。

例えばレジ袋、もしかしたら企業の人々も国民と同じ様に「レジ袋は環境によくない!」と本気で思っているかもしれません。
でもスーパーでの会計の時にレジ袋を渡さないと苦情が出る、だから売る。売る限りは売れないと困るからちょっとかわいいデザインにするとか耐久性を上げるとかする。
もうこの時点で本来の「環境保護」という目的は忘れられているかもしれませんが、彼らは一生懸命「会社のために」努力しているだけで、「ゲヘヘへ、間抜けな主婦どもから有り金かすめとってやるぜぇ」的な考えに基づいて行動しているわけではないのでは?

水道の品質だってそう。
本書では「こんなにウマい水は実はオーバースペック」という指摘がなされていますが、工業化が進展する一方浄水技術が追いつかず「水道の水はマズい!なんとかしろ!」という苦情がだんだん大きくなり、「確かにマズいよりはウマい方がいい」という考えのもと一生懸命浄水技術の向上に努めてきた。
その結果が今の「風呂や洗濯に使うにはウマすぎる水」を生んだのではないでしょうか。

彼らはただただ「自分の会社以外の世界」や「将来」などの全体が見えてなかっただけ、ただ自分の行為が何にどの程度インパクトを及ぼすのか数字を確認しなかっただけで、ただ自らの職務(それは使命ミッションといった高尚なものでは恐らくないけど)を眈々とこなし平和な生活を求めてきただけなのではないでしょうか。
恐らく組合活動を熱心に行って賃上げを獲得しようとする人々も、それが若年雇用へどの程度のインパクトを与えるかまでは考えていない。それよりも相対的ではなく絶対的に「生活が苦しい」と言っている組合員のためにがんばってるだけではないでしょうか。

もし無知または思考停止が罪だとするならば、彼らにも罪はあると思います。しかしその場合は我々国民も同罪です。
盲目的にブームに乗り彼らのビジネスに加担することで、我々もまた彼らの行為を肯定容認しているからです。
これに対して我々ができることは自らの頭で考え行動すること、そして全体最適を図れるような政治家を選任すること。

こんな問題意識を投げかけてくれる本書、自分の周りの「直感と事実の乖離」に目を向けてみるためにも一度読んでみることをオススメします。

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