予習と復習。

高校2年か3年の頃、ようやく予習復習の重要性が理解できた頃がありました。
それまでは予習なんて特にせずに学校や塾の授業に出席、終わったら試験や模試のタイミングまでなにもしない、そんな日々を送っていましたが、ふとした契機から予習と復習の爽快感を覚え、予習復習をするようになりました。

最初に覚えたのは復習の爽快感から。
学校の試験や塾の模試、いかに日々不真面目に過ごしているからと言って、悪い成績を取りたいわけはありません。試験中は必死に頑張る、足掻く。しかし日頃の不真面目が祟り当然満足な回答ができない。口惜しい。
これまでも試験を終えた直後に「あの問題ってなんだっけ!」と自分で惜しいと思った問題1問2問を振り返る程度のことをしていましたが、ある時まとまった時間をちゃんととって受けた試験の内容を再点検、その上でもう一回全部解いてみて答え合わせ、ということをやってみたら……、いや、当たり前なんですよ、そりゃ復習した直後ですから。身悶えた問題を身悶えた直後に復習すれば記憶の定着がいいのは当たり前で、定着した直後に解きなおしてみたらいい成績になるのは当たり前なんですが…………、圧倒的な好成績。目を見張る。自分が天才なんではないかと見紛う瞬間。そしてこの記憶の定着がいい。結構時間が経っても復習した内容をちゃんと覚えている、理解している。
おそらくこの「身悶え」→「高揚感」の心理的サイクルが記憶の定着をより高めているのではないかと思われるのですが、ともかくこんなアドレナリン放出体験に味をしめた当時の僕は、授業や試験の後に復習をするようになりました。

予習も大体同じ。空手で臨んだ授業がちんぷんかんぷんだったりしても、予習をしていれば理解できる。その上自分なりのわからんポイントは事前に明らかになっているので、どの部分の説明を一生懸命聞かなきゃいけないかがわかり、逆にいえばどこはぼんやりしていてもいいかわかる。授業態度にメリハリがつき集中力が持続する。さらにわからないところを質問してみたり。「あ、おれ、質問なんかしちゃって!優秀っぽい!」みたいな高揚感。授業を集中して受けたという充実感。そして高まる理解、定着する記憶。
予習も復習と同様こんなアドレナリン放出体験によってハマりだしました。

こんないいとこずくめっぽい予習復習、皆さんご存知の通り、やっぱり難点はあります。それはつまり「面倒」であること。
大学受験時代など「日々の生活はほぼ勉強のみ」という時期ならばこの面倒さには多少目をつぶりアドレナリン放出のキモチよさを享受できますが、大学生になっちゃうともうダメ。アドレナリン放出が期待できる体験は山のようにあるし、またそれらによって予習復習にかける時間なんて十分に確保できない。
かくして僕の予習復習の習慣は失われ、成績は落ちていったのでした。

さて、そんな受験生時代からはや10年以上経過した今、なぜ今さらこんなことを言い出すのか。
それは「仕事をする上でも予習復習が大切なのでは?」と日々思い始めていることに起因します。
今の仕事の特性上、自分がやるべきタスクのほとんどは未経験。チームメンバーも気心がしれているわけでもないし、お客様も馴染みなわけではない。社内に十分なノウハウはなく、つきっきりで面倒を見てくれたりわからないことを教えてくれる先輩社員などいない。コンマ2秒ごとに点灯するクエスチョンマークに対してコンマ2秒ごとにそれらしい答えを出し前に進まなければならない。もう少しじっくり考えたいけど、得体の知れない物事に自分の時間は奪い取られ、気づいたら一日が終わっている。その上少ない時間で進んだ方向が正しい道かどうかもわからない。
ヤバい。
こんな状態なので日々のニュースにも満足に触れられず、情報難民になっていく。
ヤバい。
不安でしょうがない。

最近思い始めているのは、こんな状態をなんとかできるのはアノ時にお世話になった「予習復習」なのではないか?ってことです。闇雲だった僕も受験勉強に秩序をもたらした「予習復習」。授業中に身悶える前に身悶えそうな論点を整理しておく、理解に必要な情報を収集しておく。授業中や試験中に身悶えた後はすぐそれを振り返り、穴を埋めておく。自分の歩んだ軌跡を振り返る。
予習復習を復活させれば、僕の無為な日々は有為なアドレナリン放出活動に変わるのではないか。
そんなことを最近考え始めています。

ま、どういう予習復習するか、予習復習の最大の敵である「面倒さ」をどうクリアするかはまだ見つけられていないんですが(笑。


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