2009年にMichael Jacksonが亡くなった時、神が亡くなったのだと思いました。
彼の音楽は僕が物心つかない時からずっと世界中に溢れているし、僕のiPodの中にもいつも入っています。
とはいえ僕は一度も彼のライブに足を運んだことはないので、一度も実物にお目にかかったことはありません。
心の中にいつも存在しながらも、その実在への確信はない。
多くの心の中にいる。でも本当にこの世の中に存在したのだろうか。
そして先日10月5日、もう1人の神が亡くなりました。
Steve Jobs。
彼もまた、世界中の多くの人々の心の中にいる。でも本当にこの世の中に存在したのだろうか。
そう思ってしまうくらい、彼もまた僕の小さな脳ミソで理解するには大きすぎる存在の人だったように思います。
- 歴史
僕が生まれて初めてMacに出会ったのは、確か我が家にColor Classicが来た時でした。僕の思春期においては多くの事柄に関して兄が我が家のevangelistとしての役割を担っており、音楽についてもパソコンについても彼が新しい情報や製品を仕入れてくることがほとんどでした。Macもその内の一つ。入手経緯は定かではありませんが、まだ我が家にワープロなのかなんなのかよくわからないデカくて重いPC98ラップトップしかなかった時代、それはやってきました。
筐体が小さい一方画面も小さい。今ではデスクトップ機の画面がiPad程度なんて考えられません。そんなColor Classicもまだ中学生くらいだった僕には手に余るもので、恐らく当時の僕は「新しいゲーム機が来た!」くらいにしか思っていなかったと思います。
その後兄はG3(互換機?)を入手。この頃から徐々に兄のMacを借りて触り始める機会が増えてきました。大体高校生くらいの頃だったように思います。その目的の多くはインターネットに己の思春期リビドーの捌け口を探すことでしたが。自分自身のMacを手にしたのはいつのことだったでしょうか。覚えているのは、そのモデルが初代iMacだったこと。例のボンダイブルーのヤツです(iMac, Bondi Blue)。この頃OSはまだMac OS 9で、テレホーダイを活用しながら夜な夜な一生懸命ネットの荒野をさまよったものでした。その次に購入したのはiMac DV (iMac DV, Summer2000, Indigo)。雪の日に横浜のヨドバシカメラで買い、配送ではなくキャリアに乗せて自分で持って帰ったのを覚えています。この頃には既にMacは僕の大事なパートナーで、ネットサーフィンはもちろん、グラフィックデザインとウェブデザイン、音楽録音・編集や作曲(の真似事)、文章を書くことなど、人生になくてはならないものになっていました。
大学を卒業して会社に入る頃にはこのiMac DVの調子がすこぶる悪くなり、www.satoshitomiie.comの原稿入稿が遅れてトミイエ先生にご迷惑をお掛けしたのを覚えています。これを機に新しく購入したのは、どこか一部の調子が悪くなっても部品交換等で延命可能(だと思っていた)ハイエンド機、Power Mac G5 (Power Mac G5)。この筐体デザインは現在のPowerMacにも受け継がれていますが、このモデルはその第1号でした。純正ディスプレイ等々含めて当時は30万円近くかかりましたが、新入社員の薄給にもかかわらず1年半くらいのAppleローンを組んで購入を決意しました。G5はよく働いてくれましたが、HDDやメモリは増強可能だがCPUの性能向上は少々難しいこと、夏でもまるで暖房のように僕の狭い部屋を一生懸命温めてくれること、そしてそれに加えて、新しくリリースされたiPod Classicのディスク容量がG5のそれよりも大きかったことが、彼との別れを決意するきっかけになりました。IT業界の技術革新が日進月歩であることは承知していましたが、ハイエンドのデスクトップ機のHDD容量が、ものの数年でたかだかiPodのそれよりも小さくなってしまった現実に愕然としたことを昨日のことのように覚えています。これがきっかけで、もうハイエンド機は買うまいと決心しました。
Power Mac G5との決別後は、アルミ筐体になってカッコよさを取り戻したiMacを購入しました(iMac 24″, Mid2007)。彼も約4年にわたり、僕の酷使に耐えよく働いてくれましたが、先日海外赴任の話に伴って先般友人に家に引き取られていきました。今でも元気で頑張ってくれていることを祈っていますが、先日話を聞いたところによるとまだ箱の中で休んでいるとのこと。まあ働き詰めだった彼にとってそのくらいの休息は逆に必要なのかもしれません。そんなiMacに代わって新たな相棒になったのはMacbook Proです(Macbook Pro 13″, Mid2009)。この頃には僕のDJもレコードからCD、そしてPCDJに移行しつつあったため、DJ用ラップトップとして購入しました。そんなMBPも、今ではメインマシンとして移動の多い生活に欠かせない相棒になっています。
もう10年以上に渡って僕の生活の一部となってきたMac達。当初はOS9とのUIの違いに敬遠していたOS Xも、いつの間にかその使いやすさの虜になっていました。また、もちろんこれ以外にも僕の生活を便利なものにし、時には鮮やかに彩ってくれたアップル製品達はまだまだあります。iPod (Click Wheel)、iPod 5th Generation、iPod Shuffle 4th Generation、AirMac Express、Time Capsule、iPhone 3Gに2台のiPhone 3GS、そして最近仲間に加わったiPad 2。4台のApple Keyboard (Alminium, Wired & Wireless)とMighty & Magic Mouse。近々Apple TVとiPhone 4Sも購入予定です。
先述した通り、僕が初めて所有したApple製品は初代iMacでした。iMacはSteveが復帰して最初に発表した製品です。即ち、僕のApple人生はSteve復活と歩みを同じくしてきたわけです。やっぱり、共に歩んできたSteveがいなくなってしまうのは、ちょっと寂しい気もします。
- 後継者
ただ、Steve亡き後のAppleが、1981年のSteve解任後のAppleのようにそのまま暗黒の時代に突入するとは思えません。それは、Tim Cookへの王位継承があまりにも見事だったから。
そもそも独裁国家であるAppleの独裁者であるSteve Jobs亡き後、Appleのイノベーションがそれ以前と同様に継続できるのかどうかという議論は、長らくファンや投資家の論争の対象でした。しかし、数年前の論争に比べて非常にあっけなく、なんの問題もなく、先日王位継承は何事もなく完了しました。
このつつがなさ、そしてタイミング。10月5日以降にそれを振り返ってなおさら思うことですが、やはりこれは見事だったとしか言いようがありません。
さらにその人選。
名著「ビジョナリー・カンパニー」において、著者James C. CollinsとJerry I. Porrasは長期にわたって突出した業績を上げ続ける企業を分析し、いくつかの共通項を発見しました。その研究の中で彼らは、経営者の資質にも共通する項目があることを見つけました。普通に考えると、日産のカルロス・ゴーンのような外部から高額の報酬で雇われたプロ経営者がビジネススクールで学んだ最新の経営手法を使って社内を改革する……というイメージを持ってしまいがちですが、実際はその逆。社内の人材であることや(外部からのヘッドハントではなく長らく同社に勤めた社員)、地味・実直・真面目なパーソナリティーであること(カリスマ性がない、目立たない、メディアへの露出は控える)が共通項だったそうです。
社内で長らくAppleのビジョン・哲学にどっぷり浸かってきた人材、自らの業績を世に知らしめようとするのではなく与えられた使命を着実に果たす人材、そして自社及び自社製品に愛情と情熱を持っている人材、まさに新CEOであるTim Cookのような人材が、半世紀以上に渡って企業を繁栄させ、危機に瀕しても復活させるような経営者だということです。
そんなTim Cookに加え、Jonathan IveやPhil Schillerなど長らくAppleを支えてきた経営陣、そして自分たちがAppleとして何をすべきかよくわかっている優秀な社員たちがいれば、恐らく当分の間は我々の生活にイノベーションをもたらし続けてくれるのではないかと思います。Steveのいない寂しさはありますが、一人のユーザとしてAppleの行く末を安心して見ていられるのは彼らのお陰でしょう。 - 人間
これだけの業績、世の中に残した偉業を見るとまるで完璧な人間のように思えるSteve Jobsですが、その人間性は完璧とは程遠いものであったこともよく知られています。もう一人の神様Michael Jacksonも、思春期以降のシャイな性格、幼少の頃からゴシップのターゲットだったことなどがもたらす深いコンプレックス故、何度も整形手術を繰り返しました。完璧に思えたMJでさえ、そういう人間的な部分も持ちあわせていたようです。
Steve自身もそう。産まれる前から養子に出されることが決まっていたという生い立ちが原因かはわかりませんが、時折上記を逸した行動に出ました。例えば、Steveの第一子Lisaが誕生した際、DNA鑑定でほぼ確実にSteveの子であるという結果が出ても「自分の子ではない」と認知を拒絶する、また社内のエレベーターで出会った社員との受け答えが気に入らないとすぐクビにする。こんなSteveの過激なエピソードは、彼の来歴に関する本や文章を少しでも読めばいくらでも見つかります。
そんな彼の過激な人柄も晩年にはだいぶ丸くなったようですが、「現実歪曲空間」と言われる他を寄せ付けない唯我独尊っぷりはまさに唯一無二。彼のこんな部分が、僕が曹操や織田信長と並んで彼に憧れる部分でもあります。
それはつまり、「他人や世間がなんと言おうと、自分が正しいと思った道はなんとしてでも進む」という気概。曹操の求賢令や信長の比叡山焼き討ちが、Apple復活時に乱立していた自社製品ランナップの悉くを廃し、また売れるわけがないと言われたiPadなどの新製品を悉くヒットさせたSteveの姿に重なる、というのはちょっと言い過ぎかもしれませんが、すぐ周囲に迎合してしまう矮小な僕は他人にペコペコ頭を下げている瞬間に「彼らのように体面に囚われず、己の信じた道を突き通す勇気が持てたら」なんてことをよく思うわけです。
初代iMacがリリースされて今年でたかだか13年。その13年の間に世の中がこれだけ変わることを、我々の暮らし、音楽、映画、写真との関わり方がこれだけ変わることを、その当時予測できたでしょうか。
MacとiTunesのお陰でいつでもどこでも世界中の音楽を聞くことができるし、日本を遠く離れていても日本語字幕付きの最新の映画を見ることができる。iPhotoのお陰で、そもそも写真に興味がなかった僕はデジカメを買い、アルバムを管理するようになりました。
これこそがIT。根本的に世の中を変えること、人々の暮らしをより豊かにすること。
毛色は少し異なりますが、IT業界に関わる一人の人間として、いつか彼のもたらしたような大きなインパクトを世の中に残せたら、そんなことを思ったりしてみました。
僕が天国に行く前に、彼のもたらすイノベーションで天国にも革命をもたらしておいてくれるといいんですが。
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