理屈ではない判断。

理屈ではない判断。

理屈ではない判断。


社会人になってロジカルシンキングを学んでから、全ての意思決定は合理的な理由に基づくべきと思ってきました。
新しい事業に進出すべきかどうか、顧客に対してどう対応すべきか。
さすがにその日の夕食の献立などの個人の行動まで完璧に合理的な理由に基づかなくてもいいとは思いますが、複数の人間が関わり納得感ないしは効率が求められる場においては、合理的な理由に基づく意思決定が最善だと思ってきました。
同時に、直感や経験、勘に基づく判断が時として全体最適を損ない、望まない結果をもたらす現場も何度か目の当たりにしました。そのような状況を目の当たりにする度に、「合理性が伴わない意思決定はすべきではない」と学んできました。

しかし、時には論点が非常にシビアであり、さらに意思決定に際してより厳密な情報、事実が求められる状況でありながら、その一方どこまで行ってもその事実の発掘が困難、ないしは意思決定に求められる時間に比して非常に長い時間が必要な状況も存在するようです。
つい先日社内で起こったある出来事はその最たる例。複数の人間が関わり普段の意思決定よりもさらに納得感とスピードが求められる状況でありながら、その判断は厳密な事実に基づかなければならない。しかし厳密な事実の収集は非常に時間が掛かると共に明らかに困難。

このような場合には、直感に基づく結論ありきの意思決定をする必要があります。というかそれしかできない。
もう少し厳密に言えば、関連する他へ波及する影響を鑑みそれに対して可能な限り合理的な判断を下す。その全体合理性の中で個々の合理性はある程度無視されうるということ。
「個別最適よりも全体最適」なんて言えば聞こえはいいですが、個別最適を無視する意思決定はそれはそれで重い。無視したことを関わる人々にどう説明するか、その意思決定に伴う責任をどう負うか。

例えば、卑近な例で恐縮ですが、ドラマ「24」に登場する各キャラクターの意思決定は一つの好例と思います。
テロの危険性に際して住民を避難させるかさせないかに関する大統領の判断。家族を人質にとられた際の捜査官の判断。
これらの判断は多くの人命が左右されるシビアな判断でありながら、そうであるが故に意思決定に際して与えられた時間は非常に少ない、どちらに転んでも全てが丸く収まることはなく、どこまで行っても説明責任と判断の責任が求められる。そして多くの場合、この意志決定が依拠するのはもはや合理性ではなくその意思決定者の哲学や信念になる。

幸いビジネスシーンにおいて人命がかかる意思決定をすることはほとんどありませんが、とはいえ役職が上がれば上がるほどその意思決定に関わる人の人数は増え、責任は重くなる。そんな重い意思決定と責任の一端を社内と24に垣間見た今日この頃でした。

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