当事者の時代 (佐々木 俊尚)

当事者の時代 (佐々木 俊尚)


「『贖罪』は所詮自己満足でしかない」

ある時思ったことでした。
心理学的に言えば、「謝罪」という行為の意味は「自分の要求を飲め」というものでしかないということをどこかで聞いたことがあります。
確かに多くの場合、謝罪は既に犯してしまった過ちに対して許しを乞うために行われます。既に起きてしまったことはもはや変えられないため、この言葉は相手に対し「その出来事を受け入れ、水に流して欲しい」と要求する意味合いを持っています。もちろん同時に「反省している」「二度としない」などの他の付随的な意味合いを含んでいることが通常ですが、しかし本質的な意味合いは、相手に受容許容寛容を乞うものであるとのことです。
つまり「謝罪」という行為には「贖罪」の効能はない。では罪はどう贖えばいいのか。
「死んで償う」という行為も本質的には贖罪になっていません。死刑という制度の目的は被害者の報復欲求の軽減ではなく、犯罪の抑止、牽制です。そしてそれは、時に加害者の心理負担の解放という効果も担うこともある。いずれにせよ、被害者側にはメリットがない。
死を以てしても贖罪ができないのならば、つまり罪を償う手段などない。
傍観者的に論じてしまって恐縮ですが、加害者ができることは、自動車免許の講習で見るさだまさしの「償い」のように、ただ罪と向き合い、それを背負い、精一杯誠実に生きていくだけなのではないでしょうか。

上記の通り、僕が想像する限りでは、精神的に正常ではない人やよほど神経が太い凶悪な犯罪者でない限り、加害者である方が被害者であるよりも精神的にはキツいのではないかと思います。もちろん自分が被害者になるのもキツい。できればどちらにもならない方がいいに決まっています。しかし加害者である方が被害者であるよりキツいが故に、人は往々にして被害者側に立つのではないでしょうか。

例えば、ある子供がいたとします。その子供はつい悪事に手を染めてしまい、担任の教師から叱られました。
子供は家に帰って親にこのことを言いました。それを聞いた親は「確かにそんなことで叱るなんて厳しいなあ」。
この親の言葉を聞いて子供は「自分は悪くない」との気持ちを強めました。翌日、学校で他の生徒達にこのことを伝えました。
先生は「すぐ叱る怖い先生」というレッテルを貼られました。

その子はもしかしたらこう思ったかもしれません。
「自分は悪くない。これは悪事の方から自分に舞い込んできたようなものだし、そもそも学校ではこれが悪いことだなんて教えてくれていない。それなのに先生は自分を叱った。自分は被害者だ。」
一方、先生はもしかしたらこう思ったのかもしれません。
「自分は被害者だ。当人の学習、他の生徒の影響を考え、叱るべきと思い叱った。それなのに親のせいで、当人の反省も得られず他の生徒への悪影響も防げないまま、ネガティブなレッテルだけが残った。」

前者は自分の加害者としての側面に目を向けず、被害者としての側面にフォーカスしている。
後者は自分がするべきことをしたとの認識を無視し、自分の被害者としての側面を過度に認識している。

このような状況でどちらも「被害者」側の思考に陥るのは、やはり加害者たる自分を認識するのがキツく、一方被害者であることがある種の心の安息をもたらすからではないでしょうか。本書で述べられているのは、どちらの場合においても自分の「被害者」の側面ばかりにフォーカスせず、自分が抱える側面全てに目を向け、それを真摯に受け止める態度が必要であるということではないでしょうか。それが「当事者たる」ということではないかと思います。

この「当事者たる」ことのキツさは終盤に記されている新宿西口バス放火事件、また東日本大震災の例に生々しく描かれています。それは決して容易い道ではない。
これは映画「マトリックス」の世界にも似ています。現実を見るのは容易ではない。虚構に安住するのも一つの選択肢。しかし虚構に未来はない。

本書は、「ネットがあれば履歴書はいらない」や「電子書籍の衝撃」など、数々のメディアに関する分析、洞察を著してきた佐々木俊尚氏。本書も基本的には現代日本におけるマスコミが抱える問題を、東日本大震災以降ネット上などで多く見られた「マイノリティ憑依」という現象をカギに解き明かしていくメディア分析の一冊。しかし、本書は「当事者性」というそのテーマ故に、もはやメディアの在り方を問うだけに留まらず我々一人一人の生き方を問う一冊となっていると言っても過言ではありません。

それにしても3.11以降特に顕著にネット上で散見された「マイノリティ憑依」という現象を、終戦前後の政治闘争やマスコミの歴史を踏まえながらよくもここまで分析し、論じきったなというのが正直な読後感。いや、著者本人の中ではそういう順序で書いたという意識ではないと思いますが、いずれにしてもただただ感服です。
著者本人のツイートによると本書は売れていないらしいですが、その理由が「まだマトリックスで暮らしていたい人々が青いピルを選んだから」であるならば、それは本書は赤いピルであると認知されていることの証左であり、その意味では本書の趣旨が正しく伝わっているのかもしれませんね。

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