歌は機能するか。

歌は機能するか。


NTTデータグループ社員6万人の歌「NTT DATA One Song – Shine like the sun -」発表

昨今、NTTデータという会社は急速に海外事業に軸足を移してきています。
過去5、6年のこの会社の海外展開の手法について、それが始まった当初は僕の中ではあまり好意的に捉えられていませんでした。単体の数字の漸減傾向をM&Aで膨らました右肩上がりの連結の数字で誤魔化しているだけのように思えたからです。そんなものはまやかしに過ぎないのではないかと思っていました。
しかし今は非常に肯定的に捉えています。このエントリーでも考察した通り、ITという文化依存度の低い事業をマスに対して展開していくのであれば、キラリと光る競争優位性か、さもなくば圧倒的な規模が必要。この会社は後者を選択しました。とはいえそれまでドメスティックどっぷりだったこの会社にとって、いきなりグローバルで圧倒的な規模を確保するのは困難です。前例がなければなおさら。このような大企業では、そのアクションは遅々として進まないこともよくあることと思います。しかしNTTデータはそこを果敢に進めました。もともと意思決定が早い会社ではないのに、グローバルカバレッジの拡大速度は目を見張るものがあったと思います。

しかし、そのような迅速なカバレッジ拡大は新たな課題を生みます。ポストマージャーインテグレーションと言われる合併後の統合に関する課題です。
様々な国、地域で様々な顧客を相手に様々なITサービスを展開する様々な歴史を持った企業を、一つの企業名、フィロソフィー、ビジョン、システム、そしてオペレーションの下にどう統合していくか。一連のM&Aが一段落した後に現れるのはこういった問題です。
このPMIの施策の一環として、NTTデータは企業名やブランドイメージ、もしくはメールアドレスなどのビジネスインフラ部分の統合に注力してきました。各企業を横断したプロジェクトチームを結成し一つの共通したテーマやビジネスに当たらせるプロジェクトも進められています。
冒頭のニュースで紹介したこの歌も、このようなPMI戦略の一つとして位置付けられる施策だと考えられます。

さて、僕はこの歌に対しては肯定的ではありません。
PMI施策の一つとして、歌を作るという取り組みを行ったことは評価できると思います。現在の会社の課題を踏まえると、歌という対策案は当然講じられるべき妥当な策だとも思います。この点ではよくやっていると思います。

では何がよくないのか。

その前に、そもそもこの歌が果たすべき機能について考えてみます。
この歌は、下記の2つの機能を果たすことを期待されて作られていると思います。

  1. メッセージ/ビジョン伝達機能
    自社のフィロソフィーやビジョンを世界中の社員に対して伝達する機能です。当然顧客に対するコミュニケーションも兼ねられたらいいと思いますが、PMI戦略の位置づけとして考えるとまずは自社の社員がターゲットだと考えられます。
  2. 連帯感醸成機能
    皆が共通の歌を歌うことによって、一体感を醸成する機能です。今後はつい先日まで全く違うグループの会社に勤めていた人とも協力して仕事をしていかなければならない。その協力、協業の推進のために、自分たちが仲間であるという意識を醸成させる必要があります。

前者は歌の製作過程に影響します。歌詞やメロディーがメッセージやビジョンを表すからです。それは歌が完成した後には変えられません。後者は歌の運用過程に影響します。この歌をどう利用していくかによって、連帯感醸成の効果は変わってくるからです。

まず前者、歌の製作過程について。
この製作過程の選択が、大きなミスだったのではないか、と僕は思います。世界中の社員から募集したメッセージを自社の先進技術を使って抽出した、という試みは面白いと思います。しかしそもそも、歌に込めるべきメッセージは世界中の社員から募集すべきだったのでしょうか?
長い間この会社で働いている人もつい先日まで違う会社で働いていた人も、日本人もインド人もドイツ人も、様々な属性を持つ人々がNTTデータグループ6万人の社員には含まれます。この共通のバックグラウンドを持たない6万人が考える自社が大切にすべき価値観やビジョンとは文字通り十人十色、6万人6万色です。その十人十色の価値観を満遍なく抽出し、自社技術を用いてグルーピングしてまとめていく。ちょっと眉をひそめてしまいそうなメッセージは削られ、6万人の仲間たちが疑問を抱かないようなメッセージだけ残す。これは歌詞だけでなく、メロディーの製作過程も同様。
こうした製作過程で作られたメロディーや歌詞にはまるで中身がない。思いがない。「世界平和」的な総論賛成なメッセージです。角が取れすぎて尖ったところが全くなく、まるで刺さらない。好きでも嫌いでもない。その代わりに記憶にも残らない。

そもそもビジョンとはボトムアップで作るものなのか。方向性はトップが指し示すものではないのか。名著「ビジョナリー・カンパニー」にある偉大な企業の条件として、「カルトのような文化を持っている」というものがあります。往々にして偉大な企業は万人に対して受け入れられるものではなく、むしろ賛否両論な文化を持ち併せており、「合う人」と「合わない人」が明確に分かれる、と。このような明確な意識が、「トップシェアを取れないような弱小事業からは撤退する」とか「パソコン事業はもうやらない」と言った果断を生むのではないか。むしろこのような峻烈なビジョン、戦略はボトムアップから生み出すことができるのだろうか。

もしこのような明確なビジョンをボトムアップで形成できると思っているのならば、それは問題です。しかしさすがに経営陣もそんなことは思っていないでしょう。
では何が問題なのか。
その大きな要因の一つは、社長の在任期間だと思います。

例えば競合IBM。社長を43年間務めた初代社長とその息子の2代目を除いても、IBMにおけるCEOの平均在任期間は7.8年です。GEはジャック・ウェルチが20年、その公認のジェフリー・イメルトは既に12年その職にあります。GEで13年間勤めた八木洋介氏はその著書「戦略人事のビジョン」の中で「伝説の経営者と言われる彼(ジャック・ウェルチ)でさえ、GEを完全に掌握して、思い通りに動かせるようになるまでには、七、八年を要したように思います。」と述べています。
これらに比べると3年間という在任期間はあまりに短い。これはDJで言えば前のDJから交代した後、前の人の選曲の持ち味や流れをうまく活かすように配慮しつつ徐々に自分の雰囲気、ノリを作る方向に持っていってようやく自分の空気になってきたと思ったらもう次のDJに交代、という感じ。こんな時間で「自分のDJ」なんてできない。自分の個性やメッセージなんて出せない。

このビジョンと在任期間、恐らくその背後に横たわる人事制度の問題が、今後解決していくべき課題の一つだと思います。言うは易し行うは難し、ということは重々承知していますが。

ちなみにもし明確なビジョンがあった場合、製作過程はどのようにあるべきだったのでしょうか。
そのヒントは、NHKの東日本大震災被災地復興チャリティーソング「花は咲く」に垣間見える気がします。詳しい製作過程はよくわかりませんが、恐らくこのチャリティーソングの目的やそこに込める思いなど、ハイレベルのコンセプトはNHKサイドが考えていると思います。もちろんNHKの職員だけでなく代理店等を入れて。しかしそのハイレベルのコンセプトに沿って、メロディーと詞に落としこんでいく作業は完全にその道のプロに一任している。詞は岩井俊二に、メロディーは菅野よう子に。この人選すらもハイレベルのコンセプトに基づいているものと推察されますが、これが非常に絶妙だったと思います。
これはただ僕がこの歌を好きであるがゆえの色眼鏡かもしれませんが、「餅は餅屋に」という方針はあながち間違っていないのではないでしょうか。NTTデータの例でも、たとえコンセプトを全社員から募集するにしても、プロに依頼するのはそのメッセージやメロディーのオーガナイズだけでなく、クリエイティブに関する部分全体にすべきだったのでは、と思います。

次に後者、歌の運用過程について。
歌それ自体については先述の通り酷評してしまいましたが、幸い楽曲の良し悪しは歌の連帯感醸成機能にそこまで影響を与えないように思います。例えば国歌や校歌。楽曲として「素晴らしい!」と思えるものでなくとも、不思議と連帯感を醸成するような歌というのはいくつかあるようです。
そのポイントは、どれだけその歌を連帯感の感じられる体験と一体化させられるか、ということだと思います。
サッカーワールドカップの試合前に日本代表選手、スタジアムで観戦している人々とテレビの前で固唾を飲む人々が一緒に歌う国歌。学園祭や体育祭、もしくは同窓会のタイミングなど節目節目でみんなで肩を組んで歌う校歌。その歌とともにある体験が、歌を「連帯感情勢」のツールとして強化し、それによって歌が果たすようになる。歌は歌ではなくツールであるため、楽曲としての良し悪しは問われないのだろうと思います。
ただし、歌がこのようなツールとして機能するためには、「皆が知っていること」すなわち「強制的に憶えさせること」が前提条件として求められます。国歌も校歌も、入学時などある一定のタイミングで強制的に学習させられ、そして身体に叩き込まれる。そうすることでいざという時に誰しもが歌えるようになり、結果として歌は体験に寄り添うことができるようになる。
もしNTTデータがこの歌に連帯感醸成機能を期待しているのだとすれば、全グループ社員に毎朝歌わせるなどして強制的に学ばせた上で、社内のイベントやグループ全体のイベント、CMなどの主要な体験(できれば感動的な体験)に歌を添えることが必要だと思います。

あんまり否定的なことを書くのもよくないかなーとも思ったりしますが、別に根拠のない誹謗中傷をしているわけでもないですし、そもそもこんなことを真剣に論じる人はほとんどいないと思うので、一人くらいいてもいいかなという気持ちでこのエントリーを書いてみました。
というか他社の方にとってはどうでもいいこの話題、内部の人間一人一人こそが吟味し、批判し、改善案を考えていくべきではないかと思います。この歌はこれでよかったのか、イベントに呼ぶアーティストはあれでよかったのか。自分がいつ企画側に立つのかわからない。そんな中どうすればより改善できるのか、自分がその立場だったらどういう意思決定をすべきなのか、社員一人一人が常に考えていかなければならないのではないか、と思ったりする次第であります。
全員参加で作った歌が、こういった議論を通じて全員参加の経営を実現することができれば、それはそれで意義あることなのでしょうなあ。

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