始めよう。瞑想 (宝彩 有菜)

始めよう。瞑想 (宝彩 有菜)


  1. ある時期に、眠れなくなった時期がありました。
    一度寝付くことができれば、そのまま眠り続けることができます。眠り続けることができすぎて、むしろ起床時はとても辛かったりするくらいです。
    ただ、なかなか寝付くことができない。そもそも眠くならない。
    かなり遅い時間にベッドに入っても、そこから寝付くまでに2 – 3時間かかることはざらで、そうするとベッドの中でじっとしていることに耐えられずついついiPhoneをいじってしまったりしてさらに寝付けなくなる始末。ある日、会社に行く時間になってもまだ眠れなかったので、病院に行ってみました。それ以降はなんとか眠れるようになりましたし、眠くなるようにもなりましたが、今でも全く眠れない夜が時々あります。
    なんとかしたい。でも原因がわからないし、対策もわからない。
  2. 海外に赴任している時、慢性的にひどくくたびれるようになりました。
    着任直後は会社設立して間もない頃、つまり個人の献身が企業活動を支える創業期であり、つまり一人が休むことによってできる穴はただちに日々の事業運営において致命的になり得たりする。ということで体調が悪くても這ってでも会社に行って仕事をせねばなりません。どうせ行かなきゃいけないなら這って行くよりは歩いて行きたい。そんな健康管理の必要性から運動を始めました。もちろん体重が減ったり風邪をひきにくくなったり、ポジティブな側面はいくつもありましたが、1年以上経過した頃から徐々に疲れが抜けなくなり、朝起きたら既に疲れている、という状態になってしまいました。
    運動をやめれば疲れなくなるが、同時に体力が低下してさらに疲れやすくなる。しかし運動をしても疲れる。運動量を減らすと体力はつかない。どうしたらいいのかわからない。
  3. また海外赴任期間中は、精神的ストレスもそこそこにありました。
    慣れない仕事における自分の意思決定の遅さや専門知識のなさで常に社員には申し訳ない気持ちがありましたし、社員からの賃上げ要求やそれを断った時の離職という切り札にはいつも不安を感じていました。担当する営業案件の一部はうまくいっておらずビジネスモデルを根本から考えなおさないといけないけれど、昼は社員からの相談、夜は出張者の接待でそんな時間はなく、やり残したり忘れてしまったりするタスクも少なくない。それらに気づいたり意識するたびに、自己嫌悪に陥る。
    今振り返るとこんなものは誰がやったって完璧にはやりきれないわけで、自己嫌悪になんか陥る必要はないってことは頭の何処かではわかりはするのですが、当時はそんなことを整理する時間もなく。なんとかしたい。

自分でもマズい状況にあるのはわかっていました。なんとかしたい。なんとかしなければ。
音楽やダイビングなど、これまでもストレス解消の手段はいくつか持っていましたが、それでは解消しきれなくなってきている。何か別のアプローチを模索しないと。
そんなことを考えていた時に、ふと目についたが瞑想でした。
もともと僕はスーパーナチュラルな何かやスピリチュアルな何かが嫌いだったので、瞑想という行為についても懐疑的でしたが、とはいえ旅先で出来心で試したヨガ体験やスティーブ・ジョブズが禅に傾倒していたというエピソード、上述したようにしんどい日々を送りながらもどうにかその中で生きていくために藁にもすがりたい気持ち、こんなものが合わさってふと「瞑想、試してみようか」という気持ちになりました。

始めるからには何事も正しい作法が必要。マニュアル人間な僕にとってはなおさらです。そこでなんとなく手にとったのがこの本。Kindleで買える中では最も評価が高く、まともそうな感じでした。

本書は大きく分けて2つのパートから構成されます。
1つは瞑想のやり方、作法です。どういう環境でどういうポジションをとって行うか、どう始めて何分くらい続けてどう終了するか。そんな僕の好きそうな精緻な瞑想マニュアルが書かれています。各所作にどういう意味があるかも書かれているので、自分でカスタマイズもしやすいです。
もう1つは瞑想の価値や効果。瞑想が心身にどういういい影響を及ぼすかが書いてあります。が、ここは正直眉唾です。話半分で読み流すくらいがいいかもしれません。

では、瞑想を始めてみてどうなったか。

結論としては、瞑想、最高!
まだそこまで真剣に取り組んでもいませんし、数回しかやったことがありません。本書にあるようなトランス状態にも至れていない。夜、寝る直前の時間でトライしてみるため気づくと寝ていることもあります。
でも、この「気づくと寝ている」ってのが僕のとってはとても重要。

僕はよく人から「考えすぎ」と揶揄されたり嘲笑されたりすることが多いですが、実際に考えるのは好きです。それはどうでもいい瑣末なことだったりとりとめもないことだったり。本書を読むまでは瞑想というのはそれらについてじっくりと考えて、整理するというような行為だと思っていました。落ち着いて思考する、というか。それによってクリエイティブな次の一手を考えたり、大きな戦略を描いたりする、というか。
これが瞑想についての大きな大きな誤解でした。

瞑想とは、思考を停止させること。
これはとても大変です。思考というものは実は起きている時はもちろん寝ている間も続いているもの。夢はその最たる例で、寝ている時は寝ている時で諸々の記憶などをアーカイブするため、思考は続いている。つまり思考は非随意筋のようなものであり、そんな思考を止めるというのは心臓を止めることに近い。ただ、違いは、思考は非随意筋のようなものであるだけで、実は随意のものです。
目を閉じると気になるあのことや、あんな不安や心配、今日あったあんなことが次々に去来します。それと同時に何気ない物音や部屋の温度、そんなつまらないことがきっかけとなって次から次へ脳が思考を始めます。この次々に現れる思考のネタを片っ端から切っては捨て切っては捨て、全て棚上げにしていく。そして思考を止める。これが瞑想です。そして僕にとって、この瞑想の先にあるのはその無の世界がもたらす甘美な睡魔。
本書によると本来瞑想とはかなりの集中力を必要とする行為のようですし、また迷走中の睡眠を検知して防ぐために指で「印」を結びます。そこから考えるとそもそも「瞑想」からの「睡魔」という流れは邪道。しかしそれでもいいでしょ別に。気持ちいいんだし。

今でもまだ僕は瞑想の真髄をよく理解できていません。上述の通り「安眠の道具」と誤解している節があります。
ただ、思考を停止し、ポジティブな考えもネガティブな思いも全て棚上げにして、一瞬でもいいから無な空間に自分を放り込んだ時のあの安堵感、リラックスは、まるで最近始めたダイビングで経験する深く澄んだ静かな海の中に潜っている時のそれと非常に似た感じがあり、とても心地よい。
意義をよく理解できていないため万人に薦められるかどうかはわかりませんが、上述したような僕の悩みに似たものを抱えている方は、もしかすると一度騙されたと思って瞑想を試してみるのもいいかもしれません。
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