オレ流DJ道具の歴史。

僕がDJを始めてからこの記事を書いている時点まで、かれこれ16年くらい経っています。
もちろんただのアマチュアDJなのでクラブでプレイする機会なんてほとんどないのですが、とはいえお陰様でここ16年間で「一度もクラブでDJしなかった1年」というのは確か一度もなかったと思います。あれ、あったっけ?

これだけ長い間DJを続けることができるというのは、もちろん自分の興味や意欲が失われていないとか、友人やお店のスタッフの方々が声を掛けてくださるとか、そういう幸運に恵まれた部分が非常に大きいのですが、その一方で近年顕著に見られるDJ機材の変化に助けられている部分も少なからずあります。
その変化とは即ち、テクノロジーの進化に伴うDJ環境の軽量化とDJの高度化。

軽量化は、2つの方向から実現されました。
1つはメディア。音楽の記録媒体が、レコードからCD、そしてHDDからフラッシュメモリへと変遷していく中で、単位重量あたりの収録曲数は圧倒的に増えました。以前は30〜40kgものレコードを一生懸命運んでも、クラブに持っていける曲数はせいぜい実質100曲程度。今では1万曲以上をポケットの中のUSBメモリに入れておくことも可能です。
もう1つは機材。記録媒体がアナログからデジタルへ移行するのに伴い、当然再生環境もアナログからデジタル、ハードウェアからソフトウェアへ移行。以前はレコードプレイヤーとDJミキサーがなければ十分なプレイができなかったところ、今では再生やエフェクトなどはほとんど全てソフトウェアで処理され、ハードウェアは一部の操作とオーディオ出力程度を担うのみ。ハードウェアの方がソフトウェアよりも圧倒的に重いので、ハードウェアの役割が減るということはその重量も軽くなるということ。そしてソフトウェアを搭載しているPCも近年目を見張る速度で軽量化しています。

またDJの高度化は、先述した記録媒体や再生環境ののデジタル化に伴い、以前は手作業でやらなければならなかったこともPCに処理させることができるようになり、また以前のアナログの世界では物理的に不可能だったプレイができるようになってきました。簡単に列挙すると、

  • ピッチコントロール作業の自動化
  • キューコントロールの高度化
  • エフェクトの高度化、多様化
  • 高度なトラック解析(BPM、キー等)の実現

というところはアナログからデジタルに移行して大きく変わったところだと思います。最近では、Amazonのように「今プレイしているその曲の次にはこの曲が合います」なんてレコメンデーションをしてくれるソフトウェアまで登場してきており、数年前には個々人の技量に委ねられていた「選曲」や「ミックス」という作業は完全にコモディティ化してしまいました。今は「雰囲気が合う曲を選ぶ」とか「ピッチを合わせてミックスする」なんていうことは、DJを初めたばかりの人でもできてしまうことです。
羽生善治氏の言葉を借りて言えば、

DJが上手くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています

ということで、「当たり前のプレイ」ができるようになるのは本当にあっという間、でもその先で他者と差別化して抜きん出るのは超大変、ということです。

閑話休題。
いずれにせよ、このような技術革新と環境変化に伴い僕のDJ環境も変化してきました。本エントリーではそんな変化の歴史を振り返ってみようと思います。

  1. レコードの時代;1998年〜2002年
    主要機材 DJミキサー(Pioneer DJM-300)、ターンテーブル(Technics SL1200 Mk3D
    主要媒体 レコード

    僕がDJを始めた1998年頃は当然PCDJなんてものはなく、レコードをターンテーブルで再生してDJミキサーから音を出す、というスタイルでした。
    僕の機材は大学1年生の夏休みのリゾートバイトで稼いだお金で買ったTechnics SL-1200 Mk3Dが2台とPioneer DJM-300でした。
    レコードは、新譜は渋谷は宇田川町のレコード店街で買っていました。当時のレコード店は今からは想像がつかないようなところで、基本的に店員の方が客よりも偉い場所でした。時々来店する有名なDJがヒエラルキーのトップ、その次に店員、僕のような駆け出し学生DJはヒエラルキーの最下層で、そのためレコードを購入する際の試聴なんてものは怖くてできませんでした。これも驚くべきことですが、当時は試聴せずにレコードを買うのが当たり前でした。狭いレコード店内に1台か2台ある試聴機は有名DJが使っていれば僕ら素人は絶対に使えないですし、また仮に空いていても店員さんに試聴をお願いすると舌打ちせんばかりの雰囲気、試聴後ちょっと期待していたものと違ったからといってそのレコードを棚に戻すなんてことは許されないような空気でした。僕の勘違いかもしれませんが(笑。そのためレコード購入の判断基準は、ボーカリストやプロデューサー、リミキサーの名前、もしくは店員が書いたPOPの宣伝文句でした。当然ハズレのレコードを何枚も買うことになりました。当時レコードは1枚約1,000円程度、収録曲も価格もシングルCDと同程度でした。
    買うレコードは新譜ばかりとは限りません。レコードはCDと違って生産量が圧倒的に少ないので、少し前にリリースしたもの、少し前のものだけど僕のような人間が欲しがるような人気のものはだいたい売り切れています。そうすると、そのレコードを入手できる可能性があるのは中古レコード店になります。先述の通りレコードは生産量が少なく、また当時は同じ曲をCDで買ってもDJでは全く使いものにならないため、人気のレコードにはプレミアがつきます。一番有名だったのはMisiaの「つつみ込むように」で、プレス枚数が非常に少ないにも関わらずA面の「つつみ込むように」とB面の「Never Gonna Cry! (Junior Vasquez Remix)」がHip Hop/R&B界隈とHouse界隈の両側から大ヒットし、一時期は1枚25,000円程度の価格がついていました。そうでなくても「House Music Bible」などに「名曲!」として紹介されているレコードは5,000円〜10,000円の価格はついていました。これを思うと、技術の進歩は楽曲バブルの崩壊にも寄与しているわけです。
    こうして買ったレコード80〜100枚をレコードバッグに詰めて、DJに出かけていきます。重量は約30〜40kgくらい(感覚値)、当時は駅にエスカレータやエレベータなんて満足に設置されていないので、レコードの運搬は重労働でした。レコードバッグの重さを表すエビソードとして、落ちたレコードバッグが当たってアキレス腱が切れた、なんて話もありました。その超有名DJはアキレス腱を切った痛みと流血が止まらないのに一晩DJをやりきったそうですが(笑。当時女性DJの数が圧倒的に少なかったのはこの「DJ=力仕事」が理由だったと思います。
    この時期のトラブルは主に、「レコード針が飛ぶ」「レコードの回転が安定せず曲のテンポが調節できない」などというものでした。個人的に最も大変だったトラブルは、曲のモニターができなくなったことでした。DJは大体1つの曲をかけている間、準備のために次にかける曲をヘッドホンで聞いています。僕がDJした時は、なぜかヘッドホンからしか聞こえないはずの曲が、メインのスピーカーから出てしまう、というトラブルがありました。このため次の曲を聞くことができない、でも聞くことができないと準備ができない。仕方なくその時は爆音の中レコード針に耳を近づけ、針がレコードの溝から拾う音を頼りに準備をしました。

  2. CDの時代; 2000年〜2006年
    主要機材 DJミキサー(Pioneer DJM-600)、CDJ(Pioneer CDJ-100S
    主要媒体 CD

    そんなレコード中心の時代が、PioneerのCDJ発売をきっかけに徐々にCDの時代へとシフトしていきました。
    Pioneerが1994年に発売した「CDJ」は「DJ用のCDプレイヤー」で、要するに曲のテンポ調節を可能にしたCDプレイヤーでした。一番最初のモデルは確かまだスクラッチはできなかったと思います。今では当たり前のように普及しているCDJも、当時はプロDJを始めとして多くのDJに否定的に受け止められていました。その理由は、ロードに時間がかかったり、レコードと音質が大きくことなるのでレコードの音と上手く調和しなかったり、そもそもクラブのサウンドシステムがCD用にチューニングされていなかったために耳触りがよくなかったり、DJ用リミックスバージョンを収録したCDを探すよりはレコードの方が入手しやすかったり、というところでした。要するに機材の性能の問題、音質の問題、音源調達の問題です。
    この内、機材の性能の問題はメーカによる改良の積み重ねで解消され、音源調達の問題はデメリットよりも「自ら制作した楽曲をすぐにクラブでプレイできる」といったメリットがフォーカスされ、それに伴ってCDでのDJが普及していったために「慣れ」という形で音質の問題が解消されていきました。これに加えて、音源のデジタル化によるDJの高度化(ループやキューコントロールの難易度低下など)、また記録媒体の軽量化という長所もあり、2000年頃から徐々にDJに受け入れられ始めました。
    楽曲調達にも変化が生じ、iPodの普及に伴い人気になったWinnyのようなP2Pファイル共有技術により、音源の違法ダウンロードが可能になりました。特に巷のレコード店に10枚程度しか入荷しなかったレアなブートレグ盤などが入手できるようになり、そのような楽曲をプレイするためにはCDRに焼いてCDJで再生するしか方法がありませんでした。一方自分で楽曲制作をするプロDJにとっては、夕方に完成した曲をその日の晩にプレイして客のリアクションを見る、なんてことを可能にするのもCDJでした。レコードであれば業者に頼んでテスト盤をプレスしてもらわなければならず、時間がかかるためです。CDならば自分で焼くことができます。
    2001年頃にはスクラッチができるCDJが登場し、またiPodがオンラインMP3ショップの普及を促した結果、性能面と楽曲調達面の課題が大きく改善され、CDJが主流になりました。音質の問題はあとはチューニングと慣れの問題なので、主流になってからは自然に音質面の課題も改善されていきました。
    ただ、まだこの時点でDJの「作業」には大きく変化は生じませんでした。記録媒体は変わりましたが、結局「選曲」「テンポ調節」「ミックス」という作業の本質は変わりませんでした。

    余談ですが、このオンラインMP3ショップの普及が音楽業界の売上減少に繋がっていると僕は思います。以前はあるアーティストのある1曲だけが欲しくても、それが収録されているアルバムまたはシングルを買わなければなりませんでした。欲しいのは1曲だけなのに、購入する楽曲はそれよりも多く、そのため支払うべき金額も上がります。しかしMP3の普及後は、個々の曲単位で買うことができるようになりました。ある1曲が欲しければ、その1曲だけ購入し、1曲分の金額を支払う、ということが可能になったのはこの頃から、というかこのシステム故だったと思います。結果、僕がレコードでDJしていた頃のような、「無駄な買い物」がなくなりました。もしかしたらそれは偶然いい曲に出会うというセレンディピティの喪失であったり、アーティストの視点で考えれば「アルバム全体を通じて伝えたいメッセージ」が伝えられなくなったり、デメリットはあるのかもしれません。いずれにせよ、これによって消費者に寄る絶対的購買量が下がったのでは、と思います。

  3. PCDJの時代1; 2006年〜2010年
    主要機材 PCDJソフト(Scratch Live)、PCDJ用オーディオインタフェース、DJミキサー、ターンテーブルまたはCDJ
    主要媒体 HDD

    僕のPCDJへの以降はあまり早くなかったと思いますが、周りのプロDJの方々が次々に移行していくのを見て、自分も後を追おうと思いました。当時の主流はSerato Scratch Liveという製品で、そのソフトウェアのシンプルさと安定性から多くの現場に選ばれていました。特にソフトウェアの安定性は重要でした。DJ中最も避けるべきは音が止まること、PCDJでは楽曲の再生をPCとソフトウェアに委ねている以上、フリーズ等で音が止まるのは最悪の事態でした。その点SSLは「フリーズしても音だけは止まらない」という脅威の安定性を見せ、現場の支持を獲得したのでした。
    CDからPCへの移行は、レコードからCDへのそれに比べて比較的円滑だったように思います。CDもPCも使っている音源はほとんど同じだったため楽曲調達面や音質面の課題はありませんでしたし、機能面でももはや短所はありませんでした。この頃のPCDJはコントローラとしてレコードやCDを使っていたため※、操作性も全く変わりませんでした。
    一方で、それだけDJ環境に変化をもたらさなかったとも言えます。DJの作業は先述と同様に「選曲」「テンポ調節」「ミックス」であり、求められる技術もそれまでの時代とほとんど変わりませんでした。
    ※PCDJでは、PCの中のデジタル音源をDJソフトウェアで再生しますが、その操作は、DJソフトウェアを操作するための専用のレコードやCDを介して行うのが一般的でした。これらのレコードやCDには「タイムコード」と呼ばれる信号が記録されており、それが専用のハードウェア=PCDJ用オーディオインタフェースを介してDJソフトウェアに送信されます。「タイムコード」とは文字通り「時間」に関する情報であり、「現在何分何秒目を再生しているか」という情報をリアルタイムでDJソフトウェアに伝えます。その「3分24秒目」という情報を受信し、DJソフトウェアは予めアサインされた楽曲の「3分24秒目」を再生するわけです。
    楽曲調達の仕方には少し変化が見られました。前述の通り、楽曲調達における「無駄遣い」が減ったこと、また1曲単位で購入できるようになったことから、レコードの時代に比べて1曲あたりの実質コストが大きく減りました。レコードの時代は不要な曲も収録したレコードを1枚1,000円で買っていましたが、この頃には必要な曲を1曲100円で買うようになっていたためです。レコードも1枚10曲収録ならば曲の単価はMP3と同じように見えますが、その10曲収録のうち欲しい曲は1曲だけなので、実質的にその1曲のために1,000円を支払っていることになります。このことと、オンラインMP3ショップの充実によって、少なくとも僕の中では違法ダウンロード楽曲を使う割合が圧倒的に減りました。違法ダウンロードの楽曲は曲の探索やダウンロードに時間がかかったりする一方、音質が悪かったり楽曲が途中で終わってしまうなど不完全な形であることも少なくありません。時間をかけて徒労に終わるよりも、100円払って完全な楽曲を入手する方が圧倒的に経済的でした。このため違法ダウンロードはほとんどやらなくなりました。

  4. PCDJの時代2; 2010年〜
    主要機材 PCDJソフト(Traktor)、PCDJ用オーディオインタフェース&コントローラ(Traktor Kontrol S4
    →PCDJソフト(Traktor)、PCDJ用オーディオインタフェース&コントローラ(Traktor Kontrol Z1 & Traktor Kontorl X1
    主要媒体 HDD、フラッシュメモリ

    「PCDJの時代1」のPCDJが「いかにレコード/CDでのプレイをシミュレートするか」という点を主眼に置かれていたのに対し、この時代のPCDJは「いかにPCならではのプレイをするか」という点に着眼点が推移していきます。これに長けているのがNative Instruments社のソフトウェア「Traktor」です。もともと安定性故に現場から受け入れられたSSLですが、Traktorと比べるとシンプルすぎるその機能がビハインドとなり、Traktorが高機能化しさらに安定するようになると多くのHouse/Techno系DJはTraktorに移行しました。僕のきっかけは、Traktor Kontrol S4というコントローラを買ったことでした。そもそも数年PCDを試してもうレコード/CDからは卒業できることが確信できた一方、より直感的にソフトウェアをコントロールできる道具が必要になってきたため、DJミキサーを処分してS4を購入しました。
    Traktorを使用したDJのスタイルがこれまでのものと大きく異なるのは、「選曲」「テンポ調節」「ミックス」という作業のうち、DJ中最も長い時間を割く「テンポ調節」という作業が完全に自動化されたためです。このため、DJ中ヒマになります。そのヒマを埋めるように出てきたのは、多くのエフェクトや、ループ&キューコントロール機能です。その場で楽曲をエディットするような、リミックスをするような、デジタルならではのプレイがこのソフトウェアによって可能になりました。また4曲同時に再生することも可能になり、今かけている曲と次に準備している曲以外にあと2曲かけられるようになり、例えばアカペラを乗せたりとか効果音を乗せる、ということも可能になりました。こうしてDJの作業における時間配分はガラリと変わり、より独創的な、クリエイティブな作業とそれに必要な技術が求められるようになりました。
    ハードウェアもこのような時代の変化に対応してきており、PioneerのDJミキサーやCDJはPCとUSB接続することによってPCDJソフトのコントローラとして機能するようになりました。またCDJ自体ソフトウェアを搭載し、PCが不要になる方向性もPioneerは打ち出しています。
    いずれにせよ、ここでようやく「ラップトップだけでDJできる」環境が揃ったと言えます。
    現在の僕の環境はこの「PCDJの時代2」にあり、ラップトップと2つの小さなDJ用コントローラで全て完結するセットアップでDJをします。このため旅行や出張にも自分のプレイに必要な機材を全て持っていくことができ、旅先でもいつでも自分の環境でDJをすることができるようになりました。

  5. PCDJの時代3; ?年〜
    主要機材 iPhone/iPad
    主要媒体 フラッシュメモリ

    PCDJの次の時代は、実はもう既に見えています。もはや「PCDJの時代」とも呼べません。それは「スマホ/タブレットDJの時代」です。
    実は2000年に発売されたiMacよりも、2010年に発売されたiPhone4の方がほぼ全てにおいて性能が上です。現在のスマホ/タブレットはすでにラップトップPCと同程度の性能を備えています。残るはそのユーザインターフェースに合ったソフトウェアの登場ですが、昨年Native InstrumentsがTraktorのiOS版「Traktor DJ」を発売しました。これによって、iPhone/iPadだけでDJをする、それもDJの真似事ではなくかなりちゃんとしたプレイができる、という世界が現実のものとなりました。
    タッチパネルというインターフェースの特徴故、僕がラップトップとコントローラを使ってやっているプレイと全く同等のことができる、とまではいきませんが、クラブではなく友人の結婚式などの場であれば、iPadと数本のケーブル、イヤホンで十分です。
    今後この操作性の部分がどのような形で改善されていくか、楽しみです。

上記のように、98年から始まった僕のDJライフの中でもこのようにDJ環境は変遷してきています。その度にシステムはコンパクトになり、一方で自分が満足するようなプレイができる確度が高まっているのが嬉しいです。
まだボチボチとDJを続けているかもしれないので、ご興味がある方は一度僕がどういうシステムでDJをしているのか、是非現場に見に来てみてください!


Comments

“オレ流DJ道具の歴史。” への18件のフィードバック

  1. ちょっと古いけど非常に興味深い記事。

  2. Snufkinのアバター
    Snufkin

    初めまして。
    DJを始めて3年、少し悩んでいる時にこちらの記事に辿り着きました。
    PCDJから始めた私には機材の変化と共に1つの人生を垣間見た様なとても味わい深い記事でした。
    頑張ろうと思います。

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