インドネシアに駐在している外国人のほとんどは運転手とメイドを雇っています。僕もそうです。
日本人がそれを聞くと「どんだけブルジョワな生活してるんだ!」と思われるかもしれませんが、インドネシアでは普通のことです。そこまで裕福でないインドネシア人家庭にもメイドはいたりします。
それは、彼らの給料が高くないから。
週3日の通いのメイドさんの給料は月額約5,000円から高くても10,000円程度。場合によっては住み込みで衣食住与える代わりに給料なし、というケースもあります。
なぜこんなことが可能なのか。それは圧倒的な貧富の差があるからです。
インドネシアでは格差が大きい。お金持ちは資源マネー等によって日本人のお金持ちとは比べ物にならないほどのお金持ちですし、貧しい人は本当に貧しい。たとえ同じ会社でも新入社員と部長の給与格差は雲泥、下手したら20倍くらい違います。
このようにインドネシアでは格差の存在は当たり前、そして社会ではそれが受容されているように見受けられます。つまり格差は「格差……できるものならなんとかしたいけど、まあ仕方ないよね」などと渋々受け入れているものというよりも、人々にとってもっと自然なもの。常にそこにあるもの。そんな存在であるように見受けられます。
そんな格差は徐々に形を変えていくのではないかと思います。現在進行している職の二極化がその新しい形。
全ての職は徐々に高給だが責任は重く難易度は高く労働時間が長い仕事と、責任は軽くて難易度も低く労働時間は一定だが給料が安い仕事の二つに分かれていく。これはつまり富者と貧者、というより「お金持ち」と「普通の収入の人」の二層が、結局のところ形を変えて構成されるということだと思います。
その一方で世界はどんどん均質化し、国家間の差異がなくなっていく。インターネットの普及が時空双方の距離をどんどん消し去り、貧しかった国がどんどん経済発展を遂げることで国家間の貧富の差も徐々に小さくなってきています。
ここインドネシアでも急速な経済発展に伴って国民全体の所得水準も急上昇しており、近い将来たとえ貧者であってもある程度まともな生活、教育、機会を享受できるようになると思います。富者は富者のままだと思いますが、最低限の生活も送れないような貧者はどんどん減っていくのではないでしょうか。
このプロセスは過去の日本が経験してきたことと同じだと思います。日本でも終戦直後は焼け野原の中で子供や老人が物乞いをし、外国人相手の売春がはびこり、犯罪が横行していた。しかし経済発展を遂げる中で基本的人権すら維持できないほどの貧者は非常に少なくなってきた。基本的人権が認められる以上、政府がその保証に注力する以上、技術の進歩によって産業の選択肢が広がる以上、どの国でも最低以下の暮らしを送らざるを得ない貧者の数は減っていくのだろうと思います。
この結果起きるのは、これまではこれを国家間で分担していた「富者の役割」と「貧者の役割」、これが国家間分業から個人間分業にシフトしていくこと。
現在は高度な金融やITなどの知識集約産業は米国をはじめとする先進国が、製造業などの労働集約産業は中国や東南アジアなどの新興国が担うという構図になっています。しかし世界の均質化が進むのならば、近い将来国家間での分業は難しくなるのではないか。中国や東南アジアであっても経済発展に伴い労働者の賃金は上昇し、新たな付加価値を見出さなければならなくなる一方、全ての米国民が金融業などの高度な産業に従事できるわけではない。遅かれ早かれある一定地域内での労働力の移動が自由化されれば、その段階で国家間分業は崩れ「インドネシアの生産ラインで働く日本人とその工場を経営するインドネシア人」「シンガポールで金融屋を経営する日本人とそこで働くベトナム人」なんていう個人間分業の構図になる。それは国家内の一定地域から始まり、国家内、EUや東アジア共同体などの経済共同体内、やがては世界全体に広がっていく。
さて、日本の老老介護、育児や保育の負担、女性の社会進出やダイバーシティの問題を解決するにはどうしたらいいのか。
これらの解決が非常に困難なのは、賃金の高い日本人が自らそれを担わなければならないためです。介護施設に頼んでも自分で介護しても機会損失を含めて少なくないコストがかかる。育児や保育も十分なインフラや労働力がないため夫婦が自ら担わなければならず、それが女性の社会進出の妨げの一つとなります。
これらの解決策の一つは、これらの労働を担う人材を雇用すること。そして介護や育児、家事手伝いが知識集約的ではなく労働集約的な職だとするならば、雇用者に対して被雇用者の賃金が十分に低い必要がある。つまり、格差が必要になります。
しかし日本国内、日本国民間には格差がなさすぎるので(ここまで地域差や所得格差の小さい国も珍しいと個人的には思います)、貧者というか「普通の収入の人」の労働ですら依然として高く、ちょっとした家事手伝いや介護支援をやってもらいたくても高すぎて雇用者はその賃金を払うに払えない。
従って、国内に格差を作り出すことが必要。国内に格差がない以上、他国の格差を輸入してくるしかありません。つまり、他国の貧者を連れてきて、国内に格差を形成するしかない。
フラット化が十分に進んだ将来は、他国の格差も自国の格差もほぼ同様になるのではないかと思います。
世界のフラット化、職の二極化、経済共同体の成立は、国境をまたいで国籍、居住地に関わらず貧者が富者に仕える事象をもたらす。経済発展度はまだまだ日本より下だと思っていた国の国民に日本人が仕えることもありえる。つまり日本人がメイドとしてインドネシア人の経営者に仕える可能性もあり得る。
日本のニュースを見ていると「格差拡大!けしからん!!」的な見出しを時々目にしますが、将来この格差は一層広がっていくのではないかと思います。途上国の時代に存在していた格差は先進国になることで一度解消される。しかし世界のフラット化、職の二極化はその格差を再構成する。
ジャカルタの街を眺めていると日本における格差の小ささを改めて痛感するとともに、「実はこれって日本の未来が垣間見えているのでは」なんてことを思ったりします。
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