論理と納得感。

また沈没事故のネタです。

先日、僕が参加したクルーズツアーを主催したダイブショップとの補償に関する話し合いに出席してきました。この話し合いの目的は、事故の原因が何だったか、またその際の責任はどこにあったのか、ということを明らかにするということもありますが、やはり皆の一番の関心事は「補償」。要するに、医療費や遺失物などのツアー参加者の損害に対して、ツアーを主催したダイブショップがいくら払ってくれるのか、ということ。

この話し合い、とても骨が折れるものでした。
そもそも日本語とインドネシア語の入り乱れるディスカッションであること、また資料も何も準備せず「それはちょっとわかんないっすね」とか「そうは言ってもこっちも大変でして」というような発言に終始する相手だったことはこの話し合いの難易度を上げるには十分すぎるほどでしたが、やはり最も難しかったのは「たくさん払って欲しい!」というツアー参加者側の思惑と「できれば払わずに済ませたい!」というダイブショップ側の思惑が完全に相反している状態において、どうお互いの納得感が得られるような落とし所を見出すか、ということでした。
契約書などのガイドラインにどういう場合にいくら払うべきか、金額はどのように決めるべきか、など事細かに書かれている場合はいいのですが(この経験で契約書の重要性を改めて痛感しました)、そうでない場合、例えば今回のようにそもそも契約書なんて用意されていない場合はどうすればいいのか。直情的に進めると「払え!」「払わん!」という不毛な論争になってしまうところを、どうしたら両者の納得感を最大化できるところに落としていけるのか。

この問題の難しさは、「ある主題に対して論理を適用することの難しさ」にあるのではないかと思います。

論理というものは万能ではありませんが、それでも多くの人の納得感を醸成するには有効なツールです。ファクトに基づきロジックで紡がれた結論は「1 + 1 = 2」というように万人にとって理解しやすいものであると共に、万人にとって否定しがたいものです。一方で「( 1 + 2 ) x 3 + 4 = 12」という数式の計算過程をなぞればわかるように、プロセスの検証を通じて結論の確からしさも確認できます。このエントリーでも述べている通り、僕は論理的思考能力はコミュニケーション能力を構成する重要な要素の一つだと考えています。どんな状況でも、誰と話す場合でも、論理というもは汎用性の高いコミュニケーションプロトコルとして機能するはずです。

一方で論理が適用しにくい分野もあります。それは感情など定性的なものが主題となる場合です。新しくオフィスを開くときのオフィス家具の色は何色がいいか、離婚する際の慰謝料はいくらに設定すべきか。このような主題について結論を導こうとする場合、論理に基づく客観的に検証可能な論拠を求めるのはなかなか難しい。イスの色が赤がいいか青がいいかなんて完全に好みの問題だし、「精神的損害に対する損害賠償金」である慰謝料の金額設定は「精神的損害」という不可算なものを可算なものにする作業なのでその確からしさなんて誰にもわからないからです。

ではどうしたらいいか。

矛盾するようなことを言うようですが、結局採るべきアプローチは「可能な限り論理的に考える」ということだと思います。ただ、主題をそのままの状態で扱うと前述の通り論理の適用は困難。そのため、「主題を細分化する」という作業が必要なのではないかと思います。

この「主題を細分化する」というアプローチについて、今回の沈没事故保証問題をケースとして考えてみます。
(なお、実際の補償額交渉では別の目的に沿った別のアプローチを取ったため、これから説明するアプローチを実践できたわけではありません。)

今回の補償問題は、厳密に言えば補償金額を決定する問題、つまり補償額がいくらであれば双方の納得感が高いか、金額の分配方法を含めたツアー参加者個々人の補償額として双方が妥当であると考えるか、という問題です。
これらの主題、つまり「補償額がいくらであれば双方の納得感が高いか」「金額の分配方法を含めたツアー参加者個々人の補償額として双方が妥当であると考えるか」という問いをそのまま扱うと、先述の通り論理の適用は難しく、「うーん、xx円?」「高い!」「いや、それぐらい必要だ!」なんていう建設的とは程遠い議論になってしまいそうです。
そこでこの主題を細分化し、下記のプロセスに分けてみてはどうかと考えました。

  1. 事実関係を明らかにする
  2. 責任の所在を明らかにする
  3. 責任の分担割合、または重さを設定する
  4. 損害額を計算する
  5. 補償額を計算する
  6. 補償側の予算を確認する
  7. 最終的な補償金額を決定する
  1. 事実関係を明らかにする
    まずは生じた事象、そこで誰がどのような行動を取ったか、逆に誰がどのような行動を取らなかったのか、ということを明らかにしていきます。ツアー決行の判断はいつ誰が下したのか、その際の情報はどういうものを参照にしたのか、参照した情報には事故に結びつくようなリスクを示唆するものはあったのか、あったとしたらそのリスクをどのように評価したのか。1分1秒単位の細かさで行動をトレースする必要はありませんが、主要なフェーズ、タイミングにおける行動や意思決定について、事実に沿って明らかにしていきます。例えば事故に至るまでの行動を「事故前の対応」「事故中の対応」「事故後の対応」に分けると、個々の行動や意思決定について抜け漏れなく明らかにすることができそうです。
    なお、ここでのチャレンジはその事実関係の信頼性の担保です。「電話をしたかどうか」という点については通話記録を参照すれば事実かどうかの信頼性は担保できますが、そのような証跡がない場合は、基本的に前後の事実と矛盾が生じないか、という点を頼りに判断するしかありません。最終的には双方の証言を事実と認定します。
  2. 責任の所在を明らかにする
    事実関係が明らかになった段階で、「この時点ではこういう行動をした」とか「こういう意思決定ができていた」ということが明らかになっていると思います。これらの行動や意思決定の主語に当たる「誰が」の部分が責任の所在です。ツアー自体の催行についてはダイブショップが責任を持っていますし、航行中の船の行き先や操舵については船長が責任を負っています。ダイビング中の身の安全については、基本的には個々のダイバーが責任を負っています。(ちゃんと免責のペーパーに同意の署名をした場合)
    ここでのチャレンジは、誰しも責任を負いたくないが故に責任の所在に関する合意が困難になることです。これを避けるには、まず「この時点では責任の多寡に言及しないこと」、「責任の所在を組織やポジションにフォーカスして論じること、逆に言えば個人の責任追求の文脈では論じないこと」、「責任の有無という議論と善悪の議論を混同しないようにすること」、そして「責任の所在について論拠を持って検討すること」というようなことが必要なのではないかと思います。平たく言えば「お前が悪い!」なんてことは言わずに、淡々と事実、常識に基づく解析に徹するということです。
    このプロセスは、前段で整理した事実関係に基づき「どの組織、ポジションが」「どのような行動、意思決定をすべきだったか」ということを洗い出すところ、また責任の所在は「こちら」「あちら」「不可抗力」の3つにざっくり分けてみるところから始めてみるのがいいかもしれません。
  3. 責任の重さを評価する
    責任の所在を明らかにした後で、ようやく責任の大きさを判定します。事故に至る行動に関する事実関係、及びその責任の所在はこれまでの議論で明らかになっているはずなので、その一つ一つについて責任の大小を論じてみる。ただし、責任の大きさというものも数値にはし難いので、例えば「直接的に事故に関係する」「間接的に事故に関係する」「事故には関係しない」などの事故への影響度などを軸として、個々の行動や意思決定の重さを「大・中・小」の3段階程度で評価するのが妥当なのではないでしょうか。
    個々の行動や意思決定に対する責任の重さを評価した上で、これと責任の所在に関する検討結果を合わせ、最終的に個々の当事者の全体的な責任の重さを評価します。これまでに検討した責任の所在及び重さから、個々のステークホルダーの全体的な責任の重さの比はある程度計算できると思います。これに基づき、相手方が何割程度の責任を負っているのか、概ね見当がつくと思います。例えば相手方の責任が50%、こちら側が20%、不可抗力が30%という結論が得られた場合、不可抗力分は折半するとして最終的に導かれる相手方の責任の量は65%ということになります。
  4. 損害額を計算する
    ここではこれまでの責任に関する議論から少し離れて、損害についてフォーカスして考えます。「補償」というものの性質を考えると基本的に補償額は損害額にもとづき計算されるべきだと思うので、ここで損害額を明らかにしておくことが必要になります。
    損害額の計算は各被害者の損害額を合計するだけでいいので一見シンプルな作業に見えますが、その個々の損害額が各被害者からの申告に基づくため、信頼性の担保が難しいということがここでのチャレンジです。つまり「実はこのアイテム、壊れてないけど壊れたってことにしちゃえ……!」という申告が紛れ込むリスク。ここでこのリスクを放置して、交渉相手の立場に立った信頼性の確保という作業を疎かにすると、双方の信頼関係が毀損され猜疑心が紛れ込むため、交渉におけるコミュニケーションコストが上がり、より合意への道のりが大変になります。このため、被害者側としてもできる限り公正に行うのが長期的に見ていいのではないかと思います。被害者側が証明すべきは「遺失した物品を実際に所有していたかどうか」「その物品の購入価格」「その物品を当該ツアーに持参したかどうか」「そのツアーで遺失したかどうか」という点です。これらの全てに対して証跡を提示し証明することは困難ですが、できる限り詳細な情報を提供することで相手の理解を得るための努力をすべきと思います。
  5. 補償額を計算する
    これまでに明らかになった相手方の責任の重さ、及び損害額から、相手方が補償すべき金額が計算できます。例えば責任の重さが65%、損害額が総額100万円ならば、補償額は65万円と計算できます。
  6. 補償側の予算を確認する
    双方納得できる補償額を導くことができたとしても、補償側にそれだけのお金がなければ補償することができません。従って、相手の補償可能額がいくらなのか、確認する必要があります。例えば相手が法人の場合、財務諸表を手がかりにして流動資産がいくらあるのか、固定資産はどのくらい現金化できるのか、という点を検証する。個人の場合は、納税証明書等から資産を把握し、補償可能額を算出します。
    ここでのチャレンジは、このような相手の財布の中身を覗きこむような行為は心情的に抵抗があるため、やり過ぎると当初の目的だった納得感の高い結論に至らない可能性があるということです。こういう場合には、「これだけしか持ってないのか!全然補償額に届かないじゃないか……まだどこかに隠しているに違いない!出せ!早く出せ!!」的な根拠なく相手を疑うアプローチよりも、もしかすると現金での補償にこだわらず、「向こう1年間のダイブツアー参加費無料」など別の形での補償を求めるのも手かもしれません。
  7. 最終的な補償額を決定する
    計算された補償すべき額、及び補償可能額から、最終的な補償額を決定します。補償が金額にとどまらない場合は、金額以外の補償についても整理します。補償額は65万円だが相手は50万円しか持っていない。そのため最終的な補償額は50万円とし、不足分の補填として1年間ダイブツアー参加無料、というような結論が得られるのではないかと思います。

以上が今回のような補償金額問題において踏むべきプロセスなのではないかと考えました。
先述の通り実際にこのプロセスに沿って交渉を進めたわけではないため、机上の空論かもしれません。また、今回は遺失物の補償をケースとして取り上げているため、死亡や重症といった場合の補償とは議論の進め方が異なるかもしれません。本来は僕がこのような素人考えで事を進めるよりも、弁護士などのプロフェッショナルな方々に依頼する方がきっちり進めてくれると思います。
ただ、あくまでも論理的に双方合意可能な結論を導こうとする場合、その議論の対象が簡単には論理を適用できないものの場合、上記のように主題を細分化し一つ一つ整理していくというプロセスは一つの解になるのではないかと思います。

いずれにせよ、このような非論理的な主題に対する論理的なアプローチを知っていると、もしかしたら日常生活でも少しは役に立つかもしれません。


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