前回のエントリーで2年半の海外赴任において獲得したもの、獲得できなかったものについて振り返った。
その中で一点、獲得したものとして挙げるのを失念してしまった項目があるので、ここに追記しておきたい。
- 汎用性
営業としてアサインされたにも関わらず、会社設立直後だったため、赴任中は下記に示すようなあらゆる業務に携わった。これらの業務について、常に複数を平行して走らせながら速度・質ともにまずまずのレベルでこなすことができたのは、今まで朧気に持っていた自分の汎用性に対する自信を深めることができた。- 会計・財務(財務会計報告体制構築、資金調達とそれに伴う為替リスクヘッジ、管理会計可視化・経営分析、経費削減)
- 人事(採用、解雇、人事考課、人事制度設計、就業規則策定)
- 経営戦略(市場分析、事業戦略構築、事業計画策定、組織設計)
- 内部統制(取締役会・株主総会対応、監査、ビジネスプロセス定義、委任内規策定、各種標準規程策定)
- 総務(オフィス設計・構築・移転、会社設立セレモニー企画運営、緊急時対応・安否確認)
- 法務(契約照会、契約交渉)
- 営業(新規ビジネス企画・事業化、顧客営業全般(公共、金融、法人)、入札対応、営業活動コーディネート)
- 開発(要件定義・提案、運用保守、技術移転)
- その他(VIP対応、出張者赴任者対応)
僕はもともと営業だし、海外においても当初は営業としてアサインされた。このため上記の業務のほとんどは未経験だった。にもかかわらず、2年半の間結果として自分がこのような広範な業務を担うことができたのは、下記の2つの理由からだと思う。
1つは基礎力。山本真司氏の著書「20代仕事筋の鍛え方」によると、人のケイパビリティはパソコンになぞらえて下記の3種類に分類されるらしい。
- アプリケーションスキル
ファイナンスやマーケティング、投資、など各専門分野に特化したスキル。流行があり寿命が短い(数年程度)こと、大衆化することが特徴。 - OSスキル
ロジカルシンキングやコミュニケーション、ファシリテーションなどのスキル。汎用性が高く、寿命はほどほどに長い(10年程度)ことが特徴。 - マシン性能
体力や集中力、精神的タフさなどの基礎体力。より高スペックなOS、アプリをインストールするのに必須。アプリやOSのように入れ替えができない。
僕には十分なアプリケーションスキル、即ち専門性がないが、マシン性能とOSスキルはそこそこにあると思うし、海外赴任期間中にもそれらの向上が見られた(「交渉術」「目標管理」「メンタル&フィジカルタフネス」)。このマシンとOSのお陰で、必要な時に必要なアプリケーションをインストールし、それによって未経験の業務であってもなんとかこなすことができたのだと思う。
しかし、もう1つ重要な要件がある。それは「好き嫌い」だ。
基本的に、専門性がある人にとっては「やりたい仕事、フォーカスしたい仕事」と「そうでない仕事」がはっきり分かれているし、また彼らは意図的にはっきり分けようとしていると思う。サッカーのフォワードは「ちょっと次の試合だけゴールキーパーやってもらえない?」と言われても「それは僕の専門分野ではありません」とはっきり言うし、言うべきだと思う。しかし、僕には専門性がない。その背景にキャリアへの意志もない。僕にとっては「自分が何をやりたいか」よりも「自分が何をやったら周囲に貢献できるか」の方が重要なので、好きな仕事がないし、嫌いな仕事もない。このためフォワードでもゴールキーパーでも、チームに必要であればやるし、やれる。
前回のエントリーにも書いた通り、この海外赴任によって獲得できたものの中で最も重要なのは「拡張感」。上述した汎用性とそれに対する自信は、この「拡張感」の獲得に最も寄与していると言える。一方で、前回のエントリーでも述べた「獲得できなかったもの」は、この汎用性の副産物だ。このタスクの多さは少なからずマネージャとしてやるべきこと、特に「人とタスクの管理」を実施する際の妨げとなったし、「営業としての成長」や、もしくは「何らかの専門性獲得」は、この汎用性によってむしろ遠ざかってしまった感がある。しかし最近のテーマである「専門性の欠如」とその背景にある「意志の欠如」は、「仕事の好き嫌いのなさ」と表裏の関係にある。僕に「意志」があったら、このアサインメントは受けられなかったと思うし、「拡張感」を得られることもなかったかもしれない。
アサインメントを終えるにあたって、設立時から一緒に働いてきた現地法人社長からは「君の対応可能性の広さと生産性は驚異的」との言葉を頂いた。一方で「このままだと器用貧乏になる」とのコメントも頂いた。僕は100点を取れる人間ではない。しかしどの科目でも80点は取れる自信はある。
既に30代半ばに差し掛かろうとする中でも依然専門性がないことは、社長の言う通り今後のキャリア設計において不利かもしれない。しかしもう30代半ば、この性質は変えられないかもしれない。だとするならば、自分を無理に変えようと足掻くのではなく、与えられたものをスタートラインにして再設計してみてもいいのではないだろうか。そもそも仕事を人生の中心に据えるべきなのだろうか?毎日9時から5時を通勤電車とデスクワークに捧げる生活を本当に望んでいたのだろうか?いい大学に入り、大きな会社に入り、そのまま勤め上げるという以外に選択肢はないと思っていたけど、もう少し厳密に言えば、それ以外の選択肢を進むための能力と勇気が僕にはないと思っていたけど、本当にそうなのだろうか?
獲得した「拡張感」、そしてその拡張感から芽生えるこんな気持ちが、海外赴任で獲得したものの中で一番大きいものかもしれない。
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