昔「人の能力の95%は遺伝で決まる」という話を聞いたことがあります。
これは直感的に考えると正しい気がする。
両親が医者という家庭に生まれた子供は優秀な成績を修めて医者になるケースが多いように思いますし、ACミランの象徴的存在だったパオロ・マルディーニの父親もACミランでキャプテンを務めた名プレーヤーです。
知性の高い親の下に知性の高い子が生まれ、運動能力の高い親の下に運動能力の高い子が生まれる。逆に親は成績はからっきしだけど運動能力が高い一方、子は成績優秀だが運動は全然ダメ、なんてことはあまり聞いたことがありません。(まあ人の親のことをあれこれ詮索する機会もそう多く無いからかも知れませんが。)
しかし、本書によるとどうやら才能が遺伝することはほとんどないそうです。
例えばモーツァルト。5歳にして初めて作曲したと言われる彼は生まれながらにして神童であったような伝説が数多くありますが、彼の人生や作品を具に調べてみるとどうやらそれは100%事実とも言えないようです。
また、世界的ゴルフプレーヤーであるタイガー・ウッズも同様。彼も常に自分の能力の源泉は才能ではなく「ひたすら練習することである」と述べています。
ビジネスの世界に思いを馳せるとこの主張はより納得感をますように思います。今や世界で最も素晴らしい経営者であるアップルのCEOスティーブ・ジョブズの父親(育ての親ではなく生みの親)が世界的に最も素晴らしい経営者であったという話は聞いたことがありませんし、そもそも今の時代の経営者に求められる能力がその親の世代に求められる能力と同じであることは考えにくいと思います。
この主張を裏付ける例として特に興味深いのは、自分の娘3人を全員世界的なチェスプレーヤーに育て上げたハンガリーの教育心理学者の例です。
彼は「『偉大な能力』を持つ人は生まれながらにそうなったのではなく、つくられるものだ」という見解を持っており、その持論を証明するために妻を公募し(!)、そしてその妻との間に授かった3人の娘に徹底的にチェスのトレーニングを施した。その結果、両親ともにチェスプレーヤーとしてはまったく偉大ではないにもかかわらず、3人の娘は全員世界ランカーのチェスプレーヤーに成長したそうです。
面白いのは3人の娘の中で末娘が最も強かったそうですが、それは両親が最もトレーニングを施すスキルが熟達したためだということです。
要するに、偉大な能力は決して先天的な才能に左右されるのではなく、幼少から施された質の高い教育と徹底的に行われるトレーニングの量が決め手となるということ。
こう考えると、最初に挙げた医者の例やサッカープレーヤーの例も、矛盾なく説明することができます。
もし本書が示すように才能というものが能力に占める割合が低いならば、「10年は泥のように働け」というのはあながち間違っていないのではないかと思ったりもします。ただし、ただただ「泥のように働く」のではなく、本書で語られる「究極の鍛錬」を意識すれば、の話ですが。
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