インドネシアに住み始めてから、絶体絶命と思える状況に何度か遭遇することがありました。
例えば、寝過ごしてバンコク行きの飛行機に乗れなかったとか、プーケットへの一人旅行で一文無しになったとか、ダイビング船が沈没して漂流したとか。
こういった危機的な状況を経験しないに越したことはありませんが、経験するとやはり様々な状況に対する対応力、適応力は高まると思います。それは、受験生の頃模試を受けた時にもう少しで解けそうだったのに結局間違えてしまった問題を悔しさに塗れて復習した後その問題を二度と間違えることがないのと同じように、一度強烈な経験した後の対応力、適応力は血肉レベルで身についていくように思います。その意味では、何か新しいことを始める際や未知の領域に身を投じる際、安易に先人のアテンドに依存するよりも一生懸命自分で調べてわからないなりにもがいてみて、ピンチを色々経験してみる方が結果として自分の身になると言えるのではないでしょうか。他人に連れて行ってもらうのではなく、自分で迷いながら辿り着いたレストランの場所を二度と忘れないように。
それではここで言う「適応力」とはどういうことでしょうか。これまでの僕自身の経験を振り返ってみると、危機に対する適応力とは下記のような行動様式の集合であるように思います。
- 念入りに準備するようになる。
プーケットで一文無しになった経験から、旅行、特に海外旅行に行く際はクレジットカードを複数枚持っていくこと、換金性の高い通貨で予備のキャッシュを持っていくことなどを事前にちゃんと準備、確認するようになりました。 - 行動のハードルが下がる。
例えば、それまでは恥ずかしくてできなかった人に道を聞いたり何か頼んだりするようなことも、緊急事態を経験して以降、気兼ねなく気後れせずできるようになりました。 - 「なんとかなる」という自信がつく。
それまでは「得体の知れない恐怖」だった緊急事態も、経験してみると「思ったほどダメージが大きくなかった」とか「ダメージは大きかったが対処できた」など「得体の知れた」ものになります。また、結果としてその状況を打開したという事実が自信をもたらします。 - 状況に適応するための思考様式が身につく。
緊急事態に際してどういうことを考え、どういうアクションをしていくか、その基本的な思考の仕方が身につくようになります。
上記に挙げた行動は当たり前と思われるようなことばかりですが、これらの中でも特に重要だと僕が考えているのが、最後に述べた「適応するための思考様式」です。
先述したいくつかの危機や緊急事態に際して、振り返ってみると僕はどのケースにおいてもこの思考回路に基づいて行動をしていたように思います。そんな思考様式をここでちょっとご紹介しようと思います。
その思考様式とは、「最悪のケースを考える」です。
緊急事態に陥ると、まずは全身の血の気が引きパニックになりかけます。頭の中は「ヤバい、ヤバい」という言葉だけ。冷や汗が出る。しかし、しばらくすると徐々に思考ができる状況になってきます。
そこでまず考えるのは、現状を把握して「最悪のケース」を洗い出すこと。それは現状分析の結果から導き出される「最も悲観的な状況の描写」であると同時に、「ここまではほぼ確実に実現できると言える状況の描写」。その後打つ様々なアクションが全て失敗に終わっても、たとえ何の対策も講じなかったとしても、「恐らくここまでは確保できる、実現できる」というライン。
危機においては、これを考えることが特に重要なのではないかと思います。「最悪のケース」に関する検討自体は事態を打開する対策でもなんでもないので状況改善の特効薬にはなりえませんが、対策を考える際の力強い心理的、論理的な礎になるからです。
例えば、プーケット文無し事件の場合。
詳細はこちらのエントリーをご参照頂きたいのですが、要約すると当時の状況は
- キャッシングできるクレジットカードがゼロ。カードキャッシングができない。
- 手持ちのキャッシュはインドネシアルピアのみ。現地通貨タイバーツもなければインドネシアルピアの両替も空港では受け付けてくれない。
という一文無しな状態。
さらに、
- 空港からホテルは車で約1時間の距離。徒歩での移動は基本的に不可。
- タクシーの決済は現金のみ。
という問題もあり、まずは空港からどう出るか、ホテルにどう辿り着くかということも大きな問題でした。
一方で、しばらく時間を置いて考えてみると下記のことがわかってきました。
- ホテルは事前にインターネットで手配しており、支払いは完了している。
- プーケットへはダイビング目的で来たが、一部のダイビングツアーは支払いが完了している。
- 当然帰りのフライトも支払いが完了しており、確保されている。
- キャッシングができるカードはないが、支払いできるカードはある。
つまり、ここから導き出される「最悪のケース」とは
食事はホテル内のみ、夜繁華街に飲みに行ったりクラブに行ったりできないし、4日の滞在のうち1日は何もできない。とはいえ寝る場所は確保されており、帰国も問題ない上、ダイビングも一応エンジョイできる。
というもの。
冷静に考える前は「一文無し……ってことは野宿をしなければならなかったりするの?食事は?まさか物乞いとか??」なんてことを慌てふためく頭で考えていましたが、冷静になって現状分析をしてみるとなんてことはない、せっかくプーケットに来たのに少々もったいない時間の使い方にはなりそうなものの、そこそこにまともな滞在はある程度確保できそうだということがわかりました。そしてこの事実がわかった瞬間、急速に自分の心に余裕が生まれるのを感じました。
後はそこから本来予定していた旅程に近づけるためにどのような対策が講じられるのか考えるだけです。既に心に余裕があるので、冷静に色々考えることができます。結果として「ホテルにチェックインしてからインターネットでクレジットカード会社の電話番号を調べてホテルから電話を掛け緊急キャッシングサービスを手配する」という解決策を見つけ出すことができ、事なきを得ました。
一つ問題だったのは「空港からホテルまでの移動」で、これは結果的に「白タクの運ちゃんに教えてもらった空港の外の両替所で両替、そのお金で白タクで移動」という解決策に落ち着きましたが、この策が使えなくても「警察に頼んで送ってもらう」とか「数時間かけて歩いていく」とか、場合によっては「空港の警備事務所に電話とインターネット環境を借りる」とか、良手悪手含めなにかしら手はあったと思います。
ちなみにこの思考に至るまでは、クレジットカードが吸い込まれたATMを保有する銀行に電話して文句を言ってみたり、ダイビングショップに「金を貸してくれ」と電話したり、空港の両替所で取り扱っていないインドネシアルピアを両替してくれるよう嘆願したり、パニックに任せて色々試してみました。こういう行動は、先述した通りこれ以降の旅行においても「行動のハードルを下げる」きっかけになりました。
沈没漂流事件の際も同様です。
こちらも詳細は上記エントリーをご参照頂きたいと思いますが、この時の「最悪のケース」は
漂流開始から合計45時間経たないと救助が来ない。それまでは救命ボートの上で水だけで凌ぐ。
でしたが、逆に言えばそれまでの状況を分析した結果から45時間以内に救助が来ると思っていました。(もう少し厳密に言えば、これ以上の最悪のケースも考えられましたが、その時の状況分析ではより悪い状況になることは考えにくく、また考えても打ち手がないため考慮不要と判断しました。)逆に言えば、その時点で救命ボートと45時間凌ぐだけの飲料水は確保できていたわけで、その現状理解は僕がパニックや絶望を回避するのに役立っていたと思います。
ここでご紹介したような思考回路は、交渉術で言うところの「BATNA」を考えることに似ています。「BATNA」とは「Best Alternative to a Negotiated Agreement」の略で、簡単に説明すると「交渉が決裂した場合の代替案として最も良い案」です。交渉における最悪のケースは「交渉が決裂する」こと。この最悪のケースに取りうる代替案を考える作業は、「最も悲観的な状況の描写」であると同時に「ここまではほぼ確実に実現できると言える状況の描写」であると言えます。交渉において目指すべきゴール「Mission」と最悪のケースである「BATNA」、そしてその間の領域である「ZOPA (Zone Of Possible Agreement)」においてどういうアクションでどこまで「Mission」の達成に迫るか。交渉における心構えは危機においてなすべき思考と非常によく一致していると言えるのではないでしょうか。
ちなみに、一般的に言われる「BATNA」を検討することの利点は、「交渉力が強化される」や「自分に不利な条件を飲んでしまうリスクが減る」ということ以上に、「交渉に際して心の余裕が生まれる」ということと言われています。交渉への対処も危機への対処も、「心の余裕」が一番の武器になるようです。
(このような交渉のエッセンスが詰まった「ハーバード流交渉術」は僕が最も感銘を受けた数冊の中の一冊です。是非一度読まれることをオススメします。)
冒頭でも述べた通り、人生において危機に瀕することがないのが最上です。ただ、もし万が一危機に陥ってしまった場合、ここでご紹介した考え方をちょっと思い出して頂けると、心に余裕が生まれるかもしれません。[tmkm-amazon]4837957323[/tmkm-amazon]
Yusuke Yabe へ返信する コメントをキャンセル