時間という投資。

このエントリーがアップされた日に誕生日を迎えました。みなさま、たくさんの温かいお祝いの言葉、ありがとうございます。
誕生日ということで何か誕生日らしい話題を、と思いましたが、根っからのネガティブな性格故、ネガティブな話しか思い浮かびませんでした。何卒ご容赦ください。

「『敬老の日』だけでなく毎日高齢者を敬ったらいいのに!」と伯母が考えているように、僕自身あまり誕生日という日については意識していません。もちろん自分の誕生は日々感謝していますし、それを授けてくれた親にも日々感謝しています。ただそれは日々感謝すればいいものであって、ある日だけそれをすれば事足りる、というものでもないと思います。
一方で、僕は自分が産まれた日の日付を覚えていません。物心ついてから親に自分の誕生日を教えてもらいましたが、産まれた瞬間に日付を確認するのを忘れてしまいました。なんか詭弁のように聞こえますし、実際詭弁なのだと思いますが、なんとなくこういう理由で自分の誕生日に対して「誕生日だワッショイ!」的な特別な感慨はあまり抱いていません。
しかし、誕生日という日は、時間が常に経過していることを僕に思い出させてくれる効果は持っているようです。

こんな僕でも、もう少し若い頃は誕生日を迎えるのが嬉しかったです。
その日に年齢という数字が1つ加算されること、それが自分の成長を意味しているような気がしたからです。実際中学生高校生の頃までは身体が物理的に成長していましたし、知らないことの方が多かったために精神も知識も相応に成長していたと思います。
ただ、ある時期からその成長量は逓減し、そして気づかないうちに減少に転ずる。ある時期から誕生日に年齢が1つ加算されることが、衰退を意味するようになる。

いつの間にか成長の方向が反転していることに気づいたのは、「現状維持」に相応の努力を費やすことが求められるようになってからです。

例えば運動。
若い頃は運動なんてしなくても、体力はちょっと寝れば回復したし、いくら食べても太らなかった。それが今では毎週ランニングしても体重と体脂肪率はせいぜい横這い、体力がついた実感もなく下手をすると起床した時既に疲れている。体力の向上を図るにはより一層の運動、そしてより一層の食事コントロールが必要。なんなのだこれは。

例えば勉強。
若い頃は次から次に新しい知識を吸収できたし、なおかつそれを忘れなかった。それが今では知識の獲得、維持のために継続的な予習復習が欠かせないし、そもそもすぐに物を忘れてしまうためあらゆることをメモしておかなければいけない。もしかしたらこのメモの癖がより一層記憶力を退化させているのかもしれないけど、忘れてしまうのだから仕方がない。なんなのだこれは。

例えば遊び。
若い頃は何にでも興味を持てたしそれらに打ち込める体力も気力もあった。それが今ではクラブも旅行もダイビングもノルマを決めないと結局どれもやらずに家の中にひきこもってしまう。もちろんイヤだったらそんなもの止めればいいわけで、今のところ行ったら行ったでエンジョイできているってことは別にイヤではないんだろうけど、なんだか昔持っていたようなドキドキや興奮、楽しみすぎてウズウズする感覚がもうあまり得られない。なんなのだこれは。

恥ずかしながら、30代前半という年齢でありながらも僕はまだ自分が若いと思っています。でもその一方で、日々老いているとも思っています。
リアルな僕をご存じの方、特に目上の方々の中には、老化を愚痴る僕を見て「まだひよっこのクセに何を言ってるんだお前は!」と憤る方もいらっしゃるかもしれません。しかし、年齢が年齢なだけに、既に僕の体細胞の成長曲線が上向きではなく下向きになっているのは紛れもない現実。僕が今できるのは、この下向きの確度、速度をどうにかして和らげることだけです。そしてそのためには上述したような努力が必要。

そしてその努力に絶対つきまとうのが、「時間」という資源の投資です。

僕が最近気づいたのは、僕が今のままの僕でいるためには驚くほどの時間が必要になってきた、ということです。
体型の維持、思考の維持、ライフスタイルの維持。
様々な現状維持のための努力に時間を投じていく。仕事はしつつ睡眠を効率的に確保し週末を有効活用して投資する。
そしてふと気づく、時間は有限なのだと。ダラダラしている時間なんてないんだと。

時間はあっという間に過ぎ去っていき、ふと気を抜くと膨大な時間が消費されている。時間がいつの間にか消費されているだけならまだいいのですが、実は、その消費された時間の間に、着実に自分は衰えている。体力が衰え、思考が衰え、気力が衰える。若いころの無為な時間はただ成長する機会を失ったこと、つまり機会損失に過ぎませんでしたが、今の僕にとって無為な時間は単純な損失です。
損失は減らしたい。でもそのためには投資が必要。努力、そしてそのための時間の投資。しんどい。しんどいのですぐ無為に時間を使ってしまう。
なので僕は自分の生活にノルマを課す。必死に限られた時間に色んな物を詰め込む。

成長のために必要だと思っていた時間が、衰退を防ぐために必要なものだったとは。
この時間に対する意識の変化、考え方の反転が、最近得られた大きな学びの一つです。

「学び」?
ということは僕はまだ成長しているのでしょうか。
うーん、誕生日。悩ましい。


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