何を得たか。

何を得たか。


約2年半のインドネシア赴任生活がようやく終わる。
1日1日は本当にあっという間で、結果として2年半という時間もあっという間に過ぎ去っていった。この期間の間に「拡張」という感覚を掴んだ、という話はこのエントリー(「レイヤー化する世界 (佐々木 俊尚)」)にも書いた通りだけど、この2年半の赴任生活で何を得ることができたか、せっかくなのでもう少し具体的に棚卸しをしてみたい。

  1. 英語
    なにはともあれ英語。赴任前は一言も話すことができなかったが、この赴任を経て少なくとも非ネイティブの人々と英語で仕事をするのは全く問題なくなった。これまでコンプレックスが強かった部分だっただけに、公私問わず様々なシチュエーションで英会話に苦労しなくなっことは今回の海外赴任を通じて最も成長を実感できた部分。またこの能力獲得による「生活可能圏が拡大したという感覚」「就労可能圏が拡大したという感覚」といった感覚は、冒頭で述べた「拡張」感の獲得に最も大きく寄与していると言える。
    ちなみにその英語習得までの苦労の足跡はこのエントリー(「オレ流英会話学習法。」)やこのエントリー(「どんどん話すための瞬間英作文トレーニング」)、このエントリー(「英会話のための日本語学習。」)に。頑張った分野だけに書き残したことも多い。
  2. インドネシア語
    インドネシア語もそこそこに話せるようになった。
    まだまだこれは英語で言えば英検3級レベルだし、日常生活だけでなく仕事もある程度不自由なくこなせるというレベルには程遠いけど、簡単な話題ならインドネシア語だけで会話できるようになったし、インドネシア人同士の日常会話やテレビの内容もある程度追えるようになった。赴任前には1ヶ国語しか話せなかったのが帰る頃には3ヶ国語話せるようになった、というのは本当に大きな自信。また同時に、本格的にインドネシア語の学習を始めて約半年でインドネシア語検定C級を取得できたのも、目標設定とその履行を適切に完遂できたという点で喜ばしい。
    インドネシア語の勉強方法についてはこのエントリー(「オレ流インドネシア語勉強法。」)に。
  3. 会計・財務
    仕事として最も時間を割いたのは恐らく会計の分野。
    経済学部卒の僕は大学時代会計がとても苦手で、2期連続で単位を落とした後、退官直前の教授の大盤振る舞いでようやく単位をもらえたという有り様だった。その後何度か本を読み会計の知識を身につけようとしたけど、貸し方借り方の概念もなんだかよくわからず、全く身につかない。インドネシア人社員にも「本当に経済学部卒?」なんて言われる始末。
    ただやはりほぼ毎日リアルな数字に触れていると、さすがに否応なく身につけざるを得なくなるし、身についてくる。簿記や財務会計の世界は未だにアレルギーが残っているし、プロの会計屋として仕事できるレベルにはもちろん程遠いけど、管理会計の世界は数字を通して会社の現状をざっくり把握できる程度には理解できるようになった。
    また、会社の主要ビジネスの特性上資金調達についても考えなければならなかったため、財務についても触れる機会が少なからずあった。最終的には各資金調達方法に伴うコスト比較等を銀行屋さんや本社財務屋さんと話せる程度にはなった。苦手分野が克服できたというのもとても嬉しい。
  4. 交渉術
    赴任期間中は交渉という行為に触れる回数がそれまでに比べて飛躍的に増えた。
    営業での価格や条件折衝はもちろんだけど、実は最も交渉のスキルが求められたのは社員との交渉。給与や人事考課はもちろん、例えば出張時の宿泊費や手当の金額、会社が支給する医療費の対象など、会社の制度がきちんと整備されきっていなかったがために、「よりベネフィットを得たい社員側」と「適切なレンジにコストを収めたい経営側」という交渉に臨む場面が多々あった。最も大変だった交渉は解雇。どう事実を紡いで相手が納得する結論を見つけ出すかには骨を折った。
    違う見方をすれば、このエントリー(「ハーバード流交渉術 (Roger Fisher & William Ury)」)で学んだ内容を実践する経験を多く得られたことで、交渉術のスキルを磨き、向上させることができた。その学習結果は、上述した社員との給与交渉のみならず、沈没事故後のダイブショップとの交渉や、沈没・漂流している最中のアクション自体にも活かすことができた。
  5. 目標管理
    赴任前もある程度の目標は持っていたけれど、赴任期間中は公私両面において目標管理を導入、強化した。
    そもそもこのエントリー(「時間という投資。」)にも書いた通り、僕の年齢で日々を無為に過ごすことはとても危険だと思っている。このため目標管理を導入してでも自分のケツを叩くことが必要だった。結果、仕事はもちろん、日々の生活においても、運動、旅行、趣味、勉強、ブログなどの分野において目標を採り入れることで、ヘトヘトな毎日の中でも時間を浪費することなく過ごすことができたと思う。そもそも赴任前に比べて「難しすぎず易しすぎないほどほどなレベルの目標を設定するスキル」は大いに向上した。「目標管理による自分で自分のケツを叩く力」は本当に偉大で、これによって「ああ、これもあれもやっとけばよかったのにできなかった!」という後悔を大幅に減らすことができたと思う。
    そんな目標管理方法についてはこちらのエントリー(「オレ流ノルマ活用法。」)に。
  6. メンタル&フィジカルタフネス
    赴任中は体力的にも精神的にも正直キツかった。
    創業期という構成員の個の力で状況を打開していくことが求められる時期は、少人数で組織を回すが故に必然的に一人何役もこなし各業務は属人的になる。この状況での仕事量は膨大で、且つ自分が休むことは業務への影響が大きすぎてできない。結果、赴任期間中の大半、2年以上は基本的に月3桁時間の残業が日常。
    一方精神的にもキツかった。本社にいた時と赴任中のポジションのあまりのギャップに戸惑い、日々自分の意思決定の精度の低さに怯え過ちに慄きながら、慣れない業務でパフォーマンスが思うようにでないことに悩む日々。英語もロクに話せず営業も開発も目立った実績なく、まして会計人事なんて未経験の僕と社員との間に厳然と存在する圧倒的賃金格差を正当化する方法を探しあぐねるも見つからず、それでも猜疑心に溢れる視線の中でハイパフォーマーなフリをし続ける日々。客に怒られ、能力の低さを上司に嘆かれつつ、給与交渉などの場で社員に罵倒されるというのは本当に堪えた。
    そんな中でも自分を見つめ、現在位置を確認し、叱咤し、なだめ、時には逃げ道を与えつつ、健康に任期を満了することができたのは幸運というべきか。
  7. 趣味
    既存の趣味を続けることができた上、新しい趣味も見つけることができた。
    長年の趣味であるDJは科学技術の進歩によりインドネシアでも苦労せず続けることができた。未だにレコードでDJしていたらレコードの運搬も購入も保管も一苦労だったと思うけど、PCDJに移行したお陰で音源はインターネットさえあればいつでも購入でき、また機材も圧倒的に軽量化できるため日本に出張に行ったついでにDJ、ということも可能になった。ターンテーブル、CDJ、ミキサーと大量のレコードは日本のトランクルームに放り込み、インドネシアに持ってきたのはTraktor Kontrol S41台だけ。それが今はTraktor Kontrol X1Z1の2台というよりコンパクトなシステムに。テクノロジーすげえ。そして本当にただただ運がよかったのだけど、インドネシアでDJができたこともとても嬉しかったことの一つ。BaliやSingaporeでのナイトクラビングもとても楽しかった。
    また、ダイビングや乗馬という新しい趣味も始めた。「連休は必ず旅行に行く」というノルマと相まって、ダイビングを始めてからはほとんどの連休を海で過ごした。潜った本数はダイビングを始めてから1年と少しで100本超。この趣味によって新たな交友関係も広がり、貴重で楽しい体験を色々できたと思う。
  8. 危機対応
    慣れないことに色々トライしたせいか、大変な目にも色々遭った。
    寝坊してフライトを逃したとか旅先で手配できてたと思ったフライトが手配できてなかったとか、海外で現金もなくクレジットカードもなくなって文無しになったとか乗っていた船が沈没して漂流したとか。これらの経験を踏まえて、危機に直面した際にどういう思考をすべきか、どう打開策を検討すべきかを学ぶことができたこと、そしてその練習ができたことも、この赴任期間中の大きな糧。危機に際して多くの方にご迷惑ご心配をお掛けしたことを考えると、ドヤ顔で「糧」なんて言っていいのかどうかちょっとよくわからないけど。
  9. ブログ
    こうして自分がこの赴任生活で得たことを振り返ってみると、その一つ一つがブログ記事に綴られている。途中でペース配分の変更はしたけれども、決めたペースを守って更新し続けることができたのも一つの達成感の源泉。最初は普段ふと思いついたことや読んだ本の感想をただ書きなぐるだけだったけれども、この習慣のお陰で思いつきや感想を一歩深化させて考察にすることができるようになったと思うし、また「自分は何を言いたいのか?」という主張、メッセージを抽出する訓練になった。このエントリー(「伝わる・揺さぶる!文章を書く (山田 ズーニー)」)やこのエントリー(「志を育てる (グロービス経営大学院)」)に書いたように、そもそも「主張のなさ」が最大のコンプレックスの1つだった僕にとって、この日々のトレーニングが僕にもたらした変化は大きいと思う。この「日々ブログネタを必死で探す」という習慣のお陰で、海外赴任する前の意気込みや心理状態(「異国の地へ」)と事後のそれも整理された形で確認できるわけだし。

こういった「得られたこと」に対して、当然得ようとしたし得たかったが得られなかったこともある。それらも忘れずに整理しておきたい。

  1. マネージャとしてのワークスタイル
    日本では部下どころか後輩もいない万年ペーペー社員だった僕が、着任直後から今に至るまで上司である現地法人社長に言われ続けたこと。
    「日本での役職はさておき、ここでは君は管理職。相応の働き方をして欲しい。さもなくば君が組織のボトルネックになる。」
    そもそも日本での僕のワークスタイルは、「可能な限り周囲の仕事を巻きとって自分の馬力で物事を前に進めること」。社内の誰かがボトルネックになっていればその作業を巻き取り、顧客がボトルネックになっていればその作業を巻き取り、彼らの代わりに物事を整理したり意思決定のお膳立て等して事態を前に進める。それがこれまでのやり方だった。
    一方社長に言われたのは「可能な限り自分の手を動かさず、周囲に任せること」。できる限り自分の手は動かさず、タスクは全部部下に振る。自分の仕事は方針を与えることと要所での意思決定、後はトラブル等のイレギュラー対応。
    真逆である。本を読んだり社長に教えを請うたりして一生懸命そのワークスタイルを学び身につけようとしたが、結果として未だにそのスタイルを獲得できたとは言いがたい。
    ではそのワークスタイルの中で何が難しかったか。何ができなかったか。せっかくなので考えてみる。

    • 人に仕事を任せること
      相変わらず「自分で巻き取る」型の仕事の仕方から脱却できなかった。そして僕がボトルネックになってしまったことが多々あった。
      このスタイルから脱却できなかった理由の一つは、「初期稼働を惜しんだこと」。「自分でやった方が早い」という物言いがあるように軌道に乗るまでは人に任せる方が効率が悪い。日々にこの初期稼働の投資を惜しんでしまった。もう一つは「無理強いを避けたこと」。インドネシア人部下のキャパシティが正確に把握できなかったため、どこまで任せていいかわからなかった。「配慮」を体のいい言い訳にして、「これ以上お願いするのは無理かな?」と思った時にはそれ以上任せられなかった。もしかしたらそれが本人のキャパシティを広げるいいきっかけになるかもしれないのに、「こんなに色々やってるのにまた仕事ぶん投げてくるのか」と思われるのを怖がってそれをしなかった。
    • 意思決定に際してブレないこと
      意思決定に際しては論理的思考がその助けになった。適切に状況分析ができれば自ずと選択肢は限られるし、また適切に状況分析ができていればその選択肢の比較項目も適切にピックアップし、適切に比較できる。そうするとほぼ妥当な解が導かれる。ここまではいいが、時折様々な要素が絡み合って文字通り「こちらを立てればあちらが立たず」という状況に出くわす。マネージャに求められるのは、「どちらが正解か誤りかわからない、さらに誤った時のインパクトがデカい、という状況の中で可能な限り正しい意思決定し、その決定の責任を負う」ということだけど、その勇気がなかなか持てず、優柔不断に陥ってしまうシチュエーションが多々あった。また自分の中ではこれが正しいと思っているが、周囲の意見からそれを押し通せない時も多々あった。頭を悩ませた問題の一つは組織設計で、模範解答なんて存在しない組織論の世界の中でその選択を誤るとコア人材が辞めていく、という状況での意思決定は依然何が正解かわからない。
    • 人とタスクを管理すること
      マネージャの仕事は文字通り部下やチームの仕事の管理であって、タスクを自ら捌くことではない。本来は人材の稼働状況やその育成、タスクの進捗やリスクの発生状況と対処等にフォーカスすべきだけれども、それができなかった。前述の通りタスクを任せることができず自ら捌くことになった結果、管理に割く時間がなくなってしまったからだ。自分の抱えるタスクに忙殺された挙句、タスクの管理方法は受け身なスタイル、つまり仕事を投げて後は完了の報告かトラブル発生の報告を待つ、という姿勢。結果としてタスクの進捗管理は進捗遅れが発生して初めて検知して対処するという状況だったし、リスクも同様に発生してから対処。人材育成というところには頭が回らず、「こういうところがもう少しこうなってくれたらいいのに」と思いつつも面談の時間等も中々とれず、また会社として人材育成のためのトレーニングプログラムも用意できなかったためなおざりに。
    • いずれにせよ今後の自分のサラリーマンキャリアにはもうマネジメントとして生きる道しか残されていないので、早晩この反省を活かして改善していかねばならない。

  2. 営業としての成長
    本来は営業としてアサインされていたが、上述の通りタイムマネジメントがうまくできず十分な時間を割くことができなかった。時間が十分に割けない中、顧客への提案後のフォローアップも密度が薄く、結果としてそれで決まりかけた案件を逃したり、そもそも機会を逃してしまうことが何度かあった。
    でもそれ以上に痛感したのは、営業としての「執着」のようなものが自分には足りていないということだった。もともと自分の性質として本質に拘るというよりかは短期的な合理的解決を求める性向が強いため、例えば5%値下げすれば顧客と妥結できそうな状況であればその値下げに正当性がなくても短絡的に値下げに応じて話をまとめようとしたり、また見込みのなさそうな顧客に対してはすぐに見切りをつけてしまうという行動が多かったように思う。「何がなんでもこの案件を獲る」というような気持ち、心構えは最後まで持つことができなかった。
  3. キャリアへの意志、もしくは専門性の獲得
    それまでの自分の専門性のなさ、強みのなさに失望していたために、海外赴任に際しては「なにがしかの専門性を自分の中に見つけ出しその分野での強みを確立する」という目標を立てていたものの、結局その試みは広く浅く仕事をする中で失敗に終わった。むしろ広く浅く仕事をすることで、様々な仕事に触れることができ「これだ!」というものを見つけることができてもよかったのでは、と思うけれども、結局自分が人生を賭したいと思うような、自分の強みが発揮できていると実感できるような分野は見つけることができず、キャリアに対する意志や志のようなものを育むこともできず。何らかの分野でのスペシャリストになるきっかけを掴むこともなく、ただゼネラリスト度を上げるだけにとどまった。

しかしながらなにはともあれ、こうして何かを得られたことに喜びを感じたり、何かを得られなかったことに口惜しさを感じることができるほど、多くの経験をさせてもらえたのは幸運以外の何者でもありません。願わくばこれからの人生でもこういうことを積み重ねていきたいです。

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