僕に「文才」はない。

幸いなことに、最近ブログを読んでくださった方々から時々「文才がある」とのお褒めの言葉を頂きます。ありがとうございます。
ただ、そう言われている本人は実はピンと来ていないため、なぜそういう言葉を掛けて頂けるのか、少し考えてみました。

大好きなiOSアプリ「大辞林」によると、文才とは

優れた詩文を作る才能。文筆の才能。

とのことです。この定義に沿えば、皆さんのお言葉とは裏腹に、残念ながら僕は恐らくこのような才能は持っていないのではないかと思います。村上春樹のような文章は逆立ちしたって書けそうにありませんし、星新一のような発想は僕にはできません。というか世にいる小説家全般が書くような文章は僕には書けないと思います。文章が自分の内から溢れてくる、というようなこともありません。

では何があるか。
僕に何かがあるとするならば、それはわかりやすい文章を書くための「習慣」があるのではないか、と思います。
以下に僕の習慣、普段文章を書く際に心がけていることをご紹介してみますが、その前に本の紹介を。山田ズーニー著の「伝わる・揺さぶる! 文章を書く」は所謂ロジカルシンキングの本ですが、文章を書く上での心構え等含め、僕が文章を書く上でのバイブルです。この本を読む前と読んだ後では、僕の文章の書き方は全く異なっていると思います。僕がいかにこの本に影響を受けたかについてはこちらのエントリーをどうぞ。

さて、僕が文章を書く際に心がけていること、気をつけていることは、「文章を書く前」「文章を書いている時」「文章を書いた後」の3段階のアクションに分類されます。「Plan、Do、See」というプロセスが循環するように、これらのアクションも1つの文章を書く中で数回循環します。

  1. 文章を書く前
    • 主張・論旨を明確にする
      その文章で何を言いたいのか、明確にします。できれば各段落、各文章で何が言いたいかも明確にしておきます。目的が明確になっていれば、その手段としての文章や表現が適切に機能しているかどうか、冗長になっていないかどうか、チェックすることができるようになります。なお、一部の文章は「本音」と「建前」の2つの主張を持っていたりしますが、それも予め明確にして整理しておきます。
    • アウトラインを書き、論を構成する
      「プレゼン資料を作る際、いきなりPowerPointを開かずに少し考える!」なんてことがプレゼン資料作り方マニュアルに書いてあったりしますが、プレゼン以外の文章も同様と思います。まずは「AならばB、故にC」という論の全体像を整理してから、AとBとCというモジュールに分け、「C、なぜならAならばBだから」などの論展開のパターンを考えます。同時に、このアウトラインは文章の「地図」にもなります。「今は『AならばB、故にC』という文章の中の『B』の部分を話していますよ」という地図の明示と現在位置の確認は、読み手の負担を減らし理解度を向上させます。
  2. 文章を書いている時
    • 日本語を正しく使う
      文章を書いている時は、できる限り正しい日本語を使うようにします。主語と述語を省略していないか、省略したとしてもそれは読み手に伝わる形になっているか、主語と述語は対応しているか、助詞、副詞、形容詞の使い方は間違っていないか。こちらのエントリーにも書きましたが、不完全な日本語を理解するのは予想以上に骨が折れます。かなり骨が折れるため、読み手は大体その文章を正しく読むための労力を払わず、自分の解釈しやすいように解釈したり、そもそも理解することを止めます。僕もそうです。このため読み手にきちんと読んでもらって理解してもらうためには、正しい日本語で書くことはとても重要なことだと僕は思います。
    • シンプルでわかりやすい文章にする
      英語もそうですが、関係代名詞等が登場し文章が複文になると文章が複雑になるため、読み手への負担が増えます。実際は、複文を使わず単文だけで全てを書き切るのは至難なのですが、それでもできる限りシンプルな文章にする努力は必要だと思います。副詞や形容詞などの修飾語はそれが修飾する対象の言葉から近ければ近いほどわかりやすいですし、主語もそれに対応する述語から近いところに配置した方が理解しやすいです。また、下記の例のように指示語の指示する対象が曖昧な場合も読み手の負担になるので、それを補正ことも必要になると思います。

      補正前: 大学時代はマーケティング研究会に入っていました。そこは、関東マーケティング学会に所属していて、私はそこで幹事をしていました。

      補正後: 私は、大学時代にマーケティング研究会に入っていて、そこで幹事をしていました。その研究会は、関東マーケティング学会に所属していました。

    • 語尾に気をつける
      語尾にも気をつけます。語尾は文章全体の雰囲気、また文章を読む際に読み手が違和感なく読めるかどうかに影響します。「……である。また、……である。なので、……である。」と、語尾に「である。」ばかりが続く文章はどうしても違和感を感じてしまうし、当たり前のことですが「だ・である」調にするか「です・ます」調にするかによって文章の雰囲気は大きく変わります。体言止めをどの程度使うか、同じような表現をどの程度繰り返すか、口語的にするか文語的にするかなど、論旨のメッセージ、雰囲気に合わせて語尾を調整します。
  3. 文章を書いた後
    • 推敲する
      文章を書いた後は、必ず数回通して読みます。快適に読めるかどうか、論旨が適切に伝わっているかどうか、論展開の不備はないか、日本語は正しく、文章はわかりやすいか。書いている時にはいい表現が見つからなかった部分も、通して読むことによって文章のリズムを感じることができて適切な表現を思いついたりもします。できれば、文章を書いた日とは別の日、例えば翌日などに推敲する方が確実です。夜に書いた文章は往々にして客観性を失って恥ずかしい内容になっていますので、夜書いた文章は必ず朝か昼にレビューします。
    • 情報の漏れ、論理の飛躍がないか確認する
      これも推敲の際にチェックするものですが、特に重要だと思うので前項とは分けて書きます。書き手にとって非常に当たり前な物事、出来事を、書き手はついつい書き漏らしてしまいます。しかし書き漏らした情報の中には、読み手が文章を理解する際に必須の情報が含まれていることもあり、その情報がないために読み手が混乱するケースがあります。特に、「事故の記憶」のような体験記の場合は顕著です。この中で、「海の水が温かかった」ということは体験した僕にとっては自明ですが、その情報がなければ、例えば寒い地域に住んでいる読み手にとっては「皆海の水で暖をとっていた」という描写に混乱すると思います。このような情報の漏れ、論理の飛躍がないかを確認することも、推敲というプロセスの中では非常に重要だと思います。

文章を書く時は、いつもこのようなことを考えて書いています。

ちなみにこの習慣は、ブログエントリーに限らず仕事のメールを書いたり、プレゼン資料を作るときなど、文章を書くというシチュエーションでは常にやろうと心がけています。英語で文章を書く時も同様です。英語の方が日本語よりも、「言葉を正しくを使う」とか「シンプルでわかりやすい文章にする」という部分は訓練されると思います。英語には主語や述語等の省略はほとんどありませんし、複文にするとそもそも書いている自分が混乱してしまいます。

僕がブログを続けている理由の一つは、このような文章を書くトレーニングの場として適しているからです。「日記でもいいじゃん」と思われるかもしれませんが、自分しか読まない日記と不特定多数が読むブログでは文章を書く際の気合い、文章を完成させるかどうかの意気込みがまるで異なります。自分だけが理解できればいいのであれば、上述した正しい日本語や論展開など気にしません。

ということで、文才のない僕はせめて文章執筆スキルを上げるためにお目汚しブログをせっせと書いている、という状況なのです。


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