僕は小さい頃から歴史が苦手でした。
一生懸命偉人の名前や出来事を覚えるんだけど、どうにも覚えられない。このため小学校から高校までいつも全教科の中で社会科の成績がダントツに悪かった。そんな中でどんどん新たな人の名前や出来事、年号を詰め込まれるのが苦痛でした。
一方数学はパズルみたいな気がしていたので好きでしたが、周囲には苦手な人が多かったように思います。
曰く、「これを学んでも自分の将来や生活にどう役立つのかよくわからん。」
そう感じながらも新たな公式等をどんどん詰め込まれる。これはこれで苦痛だったろうと思います。
さて、本書は「フェルマーの最終定理」や「暗号解読
」等の科学ノンフィクション小説の大家、サイモン・シンの著作です。「フェルマーの最終定理」では数学の定理を、「暗号解読」では暗号を扱ってきましたが、本書のテーマは「宇宙」。人類が宇宙に対する理解を深める過程で起こるドラマをまとめた一冊です。
例のごとく上下巻2冊に渡るボリュームは結構お腹いっぱいになる感じではありますが、宇宙という触れることができない観察対象に対する理解を人類がどのようにしてきたのか、その過程を紐解くのは特に男子にとってはかなり興奮モノなんではないかと思います。
驚いたのは古代ギリシャ人が16世紀のコペルニクスの登場、17世紀のガリレオの登場を待たずして既に地動説の可能性を認識していたこと。教科書で学んだ限りでは「それでも地球は動く」と発言したガリレオが地動説の発案者であるように思いがちですが(実際はそのように発言した事実はないらしいですが)、彼はそれを証明しただけであり、このアイデア自体は紀元前280年にアリスタルコスによって発案されていたとのこと。現代に生きるわれわれにとっては既に地動説は証明済みの学説であり幼い頃から常識として教えられてきた概念なので当たり前のように受け入れられているものですが、今から2000年以上も前の世界、ガリレオ達の生きた時代から1800年も前の世界においてこの可能性が発見されていたこと自体衝撃でした。もうこれを知っただけで大興奮。単純にすげえ。
さて、ここでふと思い立ったことが。
そもそも「17世紀、ガリレオ、地動説」を暗記する教育ってなんなんだ?
テストで「ガリレオは( )世紀に地動説を説きました。」という問題に「16」とか「18」って答えると「はい、間違い〜!」なんて言われる教育ってなんなんだ?
僕が歴史に興味を持ち始めたのはまさに歴史を「歴史」として認識し始めた時からでした。それは暗記対象の無意味な記号の羅列ではなく、原因と因果の織りなす物語であり、人類の試行錯誤の過程であり、進歩の道筋であり。
地動説の発案は何がきっかけになったのか、それを1800年間証明できなかったのはなぜか、どのように証明されたのか。こんな話、少なくとも僕は学校で習った記憶がありませんが、しかしながらこういうストーリーこそが心を揺さぶり、記号の暗記以上に大切なモノを教えてくれるのではないか。そして自分の身近にある自然に対する好奇心を刺激するのではないか。
実際には授業時間や教員の知識の制限があるのかもしれませんが、こういうことを学校ってところでは教えるべきなんじゃないかと思ったりします。
数学も同様。
平行四辺形のこことここの角度が一緒だとか、相似形になっている三角形の線の長さの比率がどうだとか、それだけを暗記させられるだけではそれが自分の生きる世界にどう活かせるのかわからない。
しかしながら人類が地球の大きさを推定し、月の大きさを推定し、地球と月との距離を推定しするのに利用した手法はこの程度の初等数学。逆に言えば初等数学だけで月と地球の距離なんていう想像のつかないものがざっくりわかる。すげえ。ホントにすげえ。
こういうことを教えるのが教育なんじゃないのか。教育にはこういう単純な感動が必要なんじゃないのか。
こういうわけで、本書はとても良い教科書だと思います。初等数学からニュートン力学、そして相対性理論に至るまで、宇宙の謎を解き明かすために用いられた手法についても丁寧に解説してあってグッド。数学の歴史を学びたい人は「フェルマーの最終定理」を、コンピュータの礎であるアルゴリズムの歴史を学びたい人は「暗号解読」を、そして物理学の歴史を学びたい人は是非本書を読んでみてください。知的好奇心が刺激され満たされること請け合いです。
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