7つの習慣 (Stephen R. Covey)

ある時、同僚のインドネシア人社員が本書を読んだことがあると言っていたので、感想を聞いてみました。
「面白かったよ。最初の1年は色々実践してみたし、それなりに効果があったと思う。でも2年目からはだんだんやらなくなっちゃって、今ではもうほとんど覚えてないなあ。」

この発言は色々なことを示唆していると思います。
まず第一に、やはり本書は世界的なベストセラーであるということ。ここインドネシアでも会社の研修等で使われており、ビジネスマンの間で当たり前のように読まれているようです。
第二に、本書に書いてあることは基本的に誰にでも受け入れられる普遍的な内容だということ。日本人であってもインドネシア人であっても、誰しもが本書の内容を学び、トライし、またそれを誰かに伝えようとするようです。
最後に、結局多くの人にとって、本書は「なんだかいいことが書いてあった本」程度の存在に留まるということ。本書を読んだ人はその内容に大いに賛同し、その習慣を始めてみようとしますが、多くは習慣を継続するモチベーションを維持できず、次第に忘れていくようです。

僕はそもそも本書にあまりいい印象を持っていませんでした。ある時期を境に本を読んで勉強するようになり、まずは古典や名著と言われるものから色々読んでみましたが、本書だけはなかなか手に取ろうと思わなかった。今回ようやく本書を読もうと思ったのも、当面日本で自由に本を買えない状況になる前に仕方なく買ったようなものです。
なぜいい印象がないのか。それはどことなく新興宗教めいた気がするからです。僕は大体の所謂「自己啓発本」にそういったイメージを持っています。なんだかキレイゴトを並べたお題目を唱えるが、中身がない。そんなイメージ。
なぜ本書についてそういう風に感じたか、もう少し具体的に言うと下記のような理由が挙げられます。

  1. 冒頭で述べた通り、なんだか内容はよくわからないが、「なんかいいことが書いてあった」という理解が得られる程度に普遍的であり、世界中に浸透していること
  2. 日本では本書を利用した勉強会的なものが一時期日経ビジネスアソシエなどの雑誌主導で主に若いビジネスマンの間で熱狂的なブームになっていたこと
  3. しかし結局内容が「総論賛成、各論曖昧」であること

さて、今僕はついに本書を手に取ってしまったわけですが、一部は予想通りイマイチよく理解できず、もっと直接的な言い方をすれば眉唾ものと思ってしまう部分もありましたが、その一方で我が意を得たりと思う部分もありました。特にそんな後者の部分は若かりし日の未熟な自分に読ませたいと思いました。例えば、僕のこれまでの人生の中で大きな挫折の一つである就職活動に立ち向かおうとするあの頃の自分。人生なんてものも、生き方なんてものも、仕事や志なんてものも特に考えたことなどなく、またそうであるが故に不安でいっぱいだった自分。
しかし、そんな彼に本書を読ませたところで、きっと今の半分も理解できなかったと思います。なんとなく趣旨は飲み込めたとしても、結局「胡散臭い自己啓発本」なんてレッテルを貼るのが関の山。なぜなら、本書の冒頭でも述べられている通り「人間の成長過程には、しかるべき順序とプロセスがある」から。

就職活動の苦い経験があったからこそ僕は身悶え路頭に迷い、路頭に迷ったからこそ安直にキャリアチェンジを図り、失敗し、それ故自分の無能さ無知さを再度痛感し、無能さ無知さを痛感したからこそそれを補うべく本を読んだり勉強したりするようになりました。この体験が僕にパラダイムシフトをもたらし、第一の習慣として述べられている「主体性の発揮」の重要性を、本当に、腹の底から、理解できるようになりました。
恐らくこれらのプロセスのどこかを飛ばして就職活動前の自分にこの本を読ませたらどうなったか。しかるべきプロセスを経ていない当時の僕は、「うーん、ま、なんだかまともなこと言ってるようだけど、結局なんだかよくわからんよね」なんてことを言っていたと思います。

つまり、主体性や率先力を発揮したり、誠実に生きたりすることの重要性を理解するには、大きな挫折などに伴う外圧がもたらすパラダイムシフトなど、相応の体験が不可欠なのではないか。逆に言えば、そういった体験を経験せず、また経験していても自分の中で咀嚼したり消化したりしていない人が本書を読んだところで、結局本当に、腹の底から理解することはできないのではないか。結果として付録のフォーマットに沿ってスケジュールを作ってみたり、それに沿って1、2週間生活してみる程度の影響しかもたらされないのではないか。それが熱狂的なブームにはなるが、結果としてブームで終わった理由なのではないか。

つまり本書は「自己改革をもたらす」ものではなく、「自己改革を振り返る」ためのものではないか。
これを読んだところで、人生における重要なことのすべてがたちどころに理解できるわけではない。本書を読んだ日を境に自分の行動がガラリと変わり、素晴らしい人生を過ごせるようになるわけではない。むしろ本書は、なんらかの衝撃によって自分の心にできた荒れた部分、ザラザラした部分を自分なりに一生懸命理解しようとしたり、治そうとしたり、受容しようとしたり、四苦八苦する中で見えてきたなんらかの法則、原則を整理し、それを振り返るためのものなのではないか。
自分の経験を振り返ってなんらかの法則、原則を垣間見ていないと、本書に書いてあることは雑駁で、イマイチ身体に染みこんでこない。もしかしたら「総論としてはいいこと言ってるのはわかるけど、各論は雑駁でよくわからんなあ」と思ってしまうのは、僕にもそういう体験、そして振り返りがまだ不足している状態、つまりまだその原則を学ぶ段階に至ってないのかもしれません。

そうであるにもかかわらず、あたかも「本書を読みさえすれば自分が変わり、新たに素晴らしい人生を歩めるようになる」かのような誤解が蔓延し、ブームになった。そしてそれは結局ブームに終わった。これが、僕が本書を新興宗教のバイブルのように感じた理由なのではないかと思います。
その意味では、本書の内容は普遍的ではあるものの、読む人を選ぶ難しい本なのかもしれません。いずれにせよ、僕には本書の中でまだ理解できていない部分を理解できるよう日々悪戦苦闘するしかないようです……。

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