コアコンピタンスと文化依存度。

先日、ある生命保険会社の重役に話を伺いました。
曰く、生命保険という商品は新興国では売れないとのこと。
例えば、中国では一人っ子政策が進められた結果、一人の子供がその子の両親、及び各両親の両親を合わせた所謂「6つの財布」を独占する状況になっているとのこと。つまり、その子本人が自分の死亡リスクをヘッジする必要がない。財布が自分以外に6つもあるので。
またインドネシアやその他のアジア新興国では貧富の差によってあまり収入が多くない家庭でもメイドを雇っているのが一般的な状況です。このため夫婦共働きという生活スタイルは至極一般的。日本の場合は男性が稼ぎ女性が専業主婦となることが一般的であったので、唯一の収入源である男性の職が失われるリスクのインパクトは大きいですが、先述したライフスタイルによりメイドが一般的な新興国ではそこまでリスクは大きくない。
一方メイドを雇えないような貧困層に目を向けて見ると、少なくともインドネシアでは所謂「講」と呼ばれる地域に根ざした相互扶助の仕組みが以前残っており、結果としてリスクは地域コミュニティによってカバーされるという状況になっているようです。

こう考えると、生命保険への加入が一般的な日本の方がむしろ特殊な状況にあるのではという気がしてきます。
高度成長期における人口都市への集中、労働力の第二次第三次産業へのシフトに伴う地縁の消滅と孤立化によって地域コミュニティによる相互扶助を失い、同時に会社員の夫+専業主婦の妻+子供という核家族化によって収入源が単一化し、夫が死亡ないし失職した際の経済的インパクトが大きくなる。団塊の世代である故に兄弟の多い夫や妻は自分の親の援助を期待することもできず、一方で経済成長に伴うインフレや教育の高度化などによってただの貯蓄じゃリスクを全てカバーしきれない。
日本で生命保険が普及したのは1980年代以降と言われますが、その背景にはこのような様々な要素の組み合わせがあったのではないでしょうか。

Wkipediaの記事によると、近代において生命保険が一般的に普及するようになったのは19世紀半ばのロンドンとのことですが、そこでも高度成長期の日本と同様の状況だったようです。

当初は生命保険は資産家や牧師など特殊な人々のものであった。ところが、産業革命により、都市生活者や給与所得者が急増すると一家の収入の稼ぎ手が亡くなった場合の生活保障や、葬儀費用などが問題となった。19世紀半ばのことである。
そこでロンドンの労働者達が、生命保険会社・プルーデンシャル ローン&保険組合(現イギリス・プルデンシャル)に少額な保険料で葬儀費用を賄える保険を作って欲しいと申し入れ、プルーデンシャルはこれを受け入れて少額・保険料建・週払の労働者向け保険を開発した。このことで、生命保険は一挙に庶民のものとなった。一時期、英国の全世帯の1/3がプルーデンシャルと契約していたとも言われている。当時の労働者にとってこうした問題がいかに深刻であったかを物語る事例といえよう。

長々と述べてしまいましたが、結局何が言いたいかというと、生命保険というビジネスはその国や地域の文化や価値観、ライフスタイルに大きく影響されるビジネスなのではないか、ということです。そもそも保険という商品は「リスク」を取り扱う商品ですが、そのリスクの捉え方は当然国や地域の文化や価値観によって異なる。表現の自由が制限されるリスクよりも青少年へ悪影響を与えるリスクが上回ると考えられる日本は性描写に関して取締りが厳しいですし、その一方自由の方が重んじられるアメリカでは一般的に取締りは厳しくない。数十年後の未来における失職リスクをどう捉えるかによって、今から35年ローンを組んでマイホームを購入する人もいれば、どんなに収入があろうとマイホームなんて買うべきではないと考える人もいます。
このように、保険会社のビジネスの核であるリスクは、文化依存度が高いと言えそうです。

この「コンピタンスの文化依存度」という視点は、グローバル企業ないし今後グローバル化していかんとする企業の趨勢を見る時、もしくは経営戦略を立案していく上で、非常に面白いのではないかと思います。

ちなみにここでの論考の対象はマスをターゲットとするグローバル企業です。グローバル化に縁がない企業は多様な文化にそもそも触れないし、一方ニッチをターゲットとする企業は一部の人間に受け入れられればいいので文化依存度を乗り越えてまで新市場に参入する必要はありません。しかし、グローバル化する企業は多様な文化に直面し、またそこでマスを狙うのでその文化の差異、多様性を無視できない。

さて、冒頭の保険の例のように、コアコンピタンスの文化依存度が高い場合のグローバル展開は難しそうです。この場合はどうすればいいのでしょうか。
その打開策として考えられるのは、1つはカスタマイズ。多国多地域で展開しつつもその文化特性に沿って商品をカスタマイズしていく。もう1つはコアコンピタンスのシフト。差別化要因を文化依存度が高いコンピタンスから低いコンピタンスにシフトしていく。
マクドナルドはこの両方ともを実践して成功しているように思います。牛肉を食べてはいけない国に合ったメニューや食事の際必ず米を食べる地域に合ったメニュー。各国のマクドナルドのメニューは多様です。一方でコンピタンスもシフトしてる。マクドナルドの商品は食品ですが、コアコンピタンスはそこにはありません。彼らのコアコンピタンスは大規模オペレーションによるコスト削減。そこそこの味のものを低価格で提供すること。この2つを実践した結果、マクドナルドは現在最も成功しているグローバル企業の一つにまでなったのでは、と思います。

一方、コアコンピタンスの文化依存度が低い場合のグローバル展開は比較的容易ではないかと思います。すぐに思いつくのはAppleやMicrosoftなどのIT企業や自動車メーカー、コカコーラなど。お釈迦様もキリストもムハンマドも知らなかったようなものは文化依存度が低そうです。ただし、この場合はその市場に既に強力なプレイヤーがいることが多い。この分野でグローバル化の成功を目指す企業がこれらのビッグプレイヤーに吸収されず生き残るには、マーケットの趨勢を覆すための光る何か、もしくは圧倒的な規模が必要になると思います。

論考の対象とする企業の定義や文化依存度という尺度の測定方法、反証の吟味が大幅に欠けてはいると思いますが、こういう視点で今ある企業、もしくはこれから伸びてきそうな企業を見直してみるのも面白いと思いませんか?


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