知的複眼思考法 (苅谷 剛彦)

昨今ワイドショー等をいくつかのトピックが賑わせているようです。STAP細胞、美味しんぼの鼻血、都議会での野次や新宿での焼身自殺、そして集団的自衛権の閣議決定。僕はあまりテレビを見ないのでワイドショーがどの程度盛り上がっているかはあまりわからないのですが、Twitterなどウェブ上では多いに盛り上がっている(いた)ように見受けられます。

これらの話題はなぜここまで盛り上がったのでしょうか。
それは平たく言えば議論が白熱したからだと思いますが、では議論が白熱するために必要な要素とは何でしょうか。

1つ目の要素は、「その論点がアツくなれるトピックであること」だと思います。これは概ねその人のアイデンティティやナショナリティ、イデオロギーや「正義感」に関連するトピックであれば要件を満たしそうです。
「女性差別」「行き過ぎた資本主義」「国益」「人命」などなどのトピックは、これらを喚起するのにぴったりなトピックであるように思います。

もう1つの要素は、「容易には議論に決着が着かないこと」だと思います。
簡単に白か黒かがわかってしまうようなトピックは議論を重ねる必要がないのであまり盛り上がりません。誰であっても「戦争に賛成か?反対か?」と問われたら「反対」と答えるでしょう。しかし決着がなかなかつきにくいと議論が議論を呼び、白熱します。

冒頭で述べた騒動を観察していて思うのは、この2点目の要因「容易には議論に決着が着かないこと」が「論点がごっちゃになる」ことによって生じているのではないか?ということです。

例えば、都議会での野次についてはざっくり言って「野次の内容に関する是非」と「野次られた女性都議の資質」という2つの論点が錯綜していたように見えました。この各論点に対する考えの違いから、「野次った男性都議を批判する立場」と「野次られた女性都議を批判する立場」に別れていたように思います。
前者の論点について考える人は「相手が誰であろうと女性差別、セクハラは許されない」という立場で野次った男性都議を批判しました。こちら側の人々にとっては、その女性都議がどういう人間であったかはあまり問題ではありません。相手が誰であろうとセクハラは許されないという立場だからです。
一方、後者の論点について考える人は、女性都議の資質、過去の経歴や言動を考慮に入れた上で、「野次られても仕方ないのでは」という立場を取りました。

本来はこの2つの論点、全く独立したものなので、前者に対する賛成と反対と、後者に対する賛成と反対で、2 x 2 = 計4通りの意見の持ち方があるはずです。しかし、論点の切り分けができていないと論点が1つしかないように見えるので、意見の持ち方は2通り、即ち「女性都議擁護」か「男性都議擁護」しかないように見えてしまう。
この結果、女性都議を擁護するような発言をすると「資質が!」という反論を受け、逆に男性都議を擁護するような発言をすると「セクハラが!」という反論を受ける。そして議論は泥沼に。

井戸端会議をしている分にはこれで問題ないと思います。これはこれで一つの娯楽だと思うので。
しかし、例えばこれがビジネスの現場だったりするとそうはいきません。議論では物事が前に進まず、成果に結びつかないからです。またこういった議論が政策論争に関する場合も、投票行動に影響するためあまり望ましい状態ではないように思います。

さて、前置きが長くなりましたが、本書はそういった冷静な物事の味方を学ぶのに最適な一冊です。
「問い」としての論点を詳らかにするだけではなく、「本当にその論点は真の論点なのか」「本当にそこには単一の論点しかないのか」などの視点をどうすれば持つことができるのか、非常に丁寧な語り口で説明しています。自分のアタマで物を考えることを推奨するという意味ではちきりん氏の「自分のアタマで考えよう」と類似した本だと言えますが、「自分のアタマで考えることの重要性」を説くちきりん氏の書籍に比べてこちらの方がもう少し汎化、体系化した「思考の仕方」について説明されているように思います。

本書を読んだ上で、全員が全員キレイに論点を切り分けてその論点ごとに冷静かつ建設的な議論をするのはなかなか難しいと思いますが、せめて僕は下記の糸井重里さんのツイートに倣い、冷静な考察、建設的な議論を心がけていきたいなあと思う今日この頃です。

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