インドネシアに駐在していた時、会社を一から作るという経験をしました。
社員を雇い、ルールを作り、オフィスを設え、業務を回す。社員数がまだ10人に見たなかった時は、会社経営もそこまで大変ではありませんでした。お互いがお互いのことをよく知っていましたし、会社の中で起きていることはほぼ全て把握することができていました。しかし次第に社員数が増えてくると、色々なものが段々見えなくなってくる。社員が経営陣に対して抱いているちょっとした不満や諍い、社員がどういう気持ちで日々の業務に取り組んでいるか、配置についてどう感じているのか。そしてどういう組織にすべきかどんどんわからなくなってくる。どうすれば組織を効率的に運営できるのか、どうすれば社員も会社も成長することができるのか、そのためにはどういう組織が最適なのか。
いくら小さな組織であっても、一介のヒラ社員がウンウン考えたところで組織運営はそううまくいくものではありませんでした。日本に帰任してもまだなお、時折僕がしたことを評価する声も、批判する声も聞こえてきます。
しかし、僕が奮闘しようと諦めようと、卓越した企業は卓越した組織から生まれます。
ここで言う組織とは、単純に組織構造のことのみを指すのではなく、それを包含する人事考課制度やさらには企業文化をも包含する概念。人々がどういう価値観を大切にし、何に情熱を注ぎ、それによってどういう成果を上げるか。組織を作り上げる仕事において自分に何が足りなかったのか、当時はがむしゃらに走ることで精一杯だったためにそれは全く見えなかったし、帰任後の自分のマネジメントスタイル、つまり権限移譲の程度や意思決定の品質についてばかり考えてしまい、組織については見えていませんでした。
この本を読んだことで、そのヒントが見えたような気がしました。
本書は「トイ・ストーリー」などのヒット作でお馴染みのアニメーションスタジオ、ピクサーの社長であるエド・キャットムルの著作。ピクサーはもともとジョージ・ルーカスの会社であるルーカス・フィルム社のアニメーション部門がスピンアウトし、当時アップル・コンピュータを追い出されたスティーブ・ジョブズによって買収されたことで成立した会社です。アップルが好きな僕にとって本書を手にとった理由は「スティーブ・ジョブズに関する興味深いエピソードが読めたらいいな」と程度の期待でしたし、また書いてある内容も「クリエイティブなアニメーターの仕事術」程度のものだろうと思っていました。
しかし、蓋を開けてみると、これは徹頭徹尾マネジメントの本でした。
エド・キャットムル自身も、もともとはディズニーに憧れてアニメーターを志望していました。その夢を叶えるためにコンピュータグラフィックスを学び、3DCGレンダリングソフトウェアの開発等の成果を残しています。自身もそうしたプレイヤーとしてのバックグラウンドを持っているにもかかわらず、彼のキャリアはニューヨーク工科大学のコンピュータグラフィックスラボの所長になって以降一貫してマネジメントの職務に注力してきました。本書に書いてあるのは、当初僕が期待していたような「ちょっとした仕事術」とか「スティーブ・ジョブズ面白エピソード」なんてものではなく、そんなエドがニューヨーク工科大学で、ピクサーで、そしてディズニー・アニメーション・スタジオで、マネジメントとしてどのようにして卓越した組織を作り上げ、そして卓越した成果を上げるためにどのような苦難を乗り越えたのか、その記録でした。
本書に記されたエドの教訓のうち自分の学びとなったものはそれこそ膨大にありましたが、中でも特に印象深かったものをいくつかご紹介します。
- 自分より優秀な人を雇う
自分が組織を作る時、優秀な人を雇うということは誰でも当然考えることだと思います。しかしその実現を難しくするのは、予算や時間等の制約もありますが、何よりも雇用者たる自分の能力です。自分が宇宙一優秀な人間であればいいのですが、そんなわけはない。自分より優秀な人間が自分の配下で働いてくれるのだろうか、自分の指示に従ってくれるのだろうか、その境遇に満足してくれるのだろうか。こんな雇用者の不安が、こうした組織づくりを難しくしているように思います。エドもニューヨーク工科大学でアルヴィ・レイ・スミスを雇用した割い、この感覚を抱いたと言います。
「私は複雑な気持ちでアルヴィに会った。正直、私よりも彼のほうがこの研究所の責任者にふさわしいように思えたからだ。今でもあのときの落ち着かない気分を覚えている。いつかこの男に仕事を奪われるかもしれないという脅威に、ズキッと痛みが走った。」
この気持ちにどう折り合いをつけるか。この不安が現実になるリスクを取れるかどうか。ここが優秀なマネージャとそうでないマネージャを分ける一つの要素のように思えます。 - 率直な意見を言える土壌を作る
ピクサーの経営において、エドは一貫して社員が上司や経営陣に対しても率直に意見を言えるような環境づくりに注力しています。それがなければ問題が隠蔽され、解決されずに埋もれ、やがて組織の崩壊をもたらすためです。しかしこれも簡単な話ではない。当然耳が痛い意見を受ける側にとってはあまり心地のよい話ではありません。意見を言う側にとしても、意見を言うことによって上司や同僚との人間関係が気まずくなるなど、不測のリスクを忌避したい。このような状況を打破し社員の率直さを確保するため、ピクサーは様々な試みが注意深く行われています。本書に出てくる代表的な取り組みは「ブレイントラスト会議」と「ノーツ・デー」の2つ。前者は映画製作におけるレビューのようなもので、シナリオから細部の描画に至るまで意見を戦わせます。後者は、ピクサーの規模が大きくなり過ぎて社員の率直さが失われつつあった局面で企画された全社的ワークショップで、丸一日を費やし全社員が仕事を中断して会社をよくするための議論を行う、というものです。どちらも慎重に設計された仕組みですが、特に後者のノーツ・デーに関する緻密な制度設計、運用にはただただ驚嘆するばかりです。自分たちが大切にする価値観を明確にし、そしてそれを守るためにはあらゆることをする、こうした姿勢が卓越する組織、そしてそのリーダーに求められていることがよくわかるエピソードでした。
本書で紹介されるこうしたエピソードを読むにつけ、エドがマネージャーとしてここまで成功したのは、彼が「勇気」を持っていたからではないかという思いを強くします。
それは自分より優秀な人を称える勇気、彼らに任せる勇気、失敗を許容する勇気、自分に対する率直な批判も受け入れる勇気、自分の情熱や信念を持ち続ける勇気。翻って自分はインドネシア駐在時代、マネージャーとして勇気を持っていたか。自分より優秀な社員たちに怯え、自分の至らなさを呪い、失敗を忌避し、硬直的な組織を自ら作り上げてはいなかったか。僕はあの時、勇気を持って彼らを信頼したか。自分を信じたか。
ピクサー社の社長というシリコンバレー界隈のトップによる著作だけに、本書は一見してピーターティールやエリック・シュミットの著作と同内容なのでは、と思ってしまいます。しかしこれは、紛れもなく「経営」ないし「経営哲学」の本です。今後マネジメントを目指す方、現在マネジメントとして試行錯誤している方、僕のように過去のマネジメントの失敗に苛まれている方にとって、大きな学びがあることは間違いありません。
なお、僕が本書を手にとった時に期待していたスティーブ・ジョブズに関するエピソードも、本書には一章割かれて記されています。
1986年のスティーブによるピクサー買収以降26年間に渡ってスティーブと一緒に仕事をしてきた身として、恐らくエドはスティーブを最もよく理解している人間の一人です。「現実歪曲フィールド」「エレベータで一緒に乗り合わせたらクビ」など数々の奇想天外なエピソードを持つスティーブですが、エドからは全く異なって見えていたようです。このエドのスティーブに対する愛情溢れるエピソードだけでも、本書を読む価値は十分にあると思います。久々に読後目頭が熱くなる本でした。
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