ITってスゴい。今回は教育の話。
結構前からiTunes Uというサービスは提供されていたけど、当時はあまり興味を持たないまま時が過ぎはや3年。ある時ふと眺めてみたら、欧米の名だたる大学の講義がたくさんある。例えばStanfordのiPhoneアプリ開発の講義とか。しかも全部タダ。これならiPhoneアプリ開発の教科書を数千円出して買ってくるより全然いい。動画つきなのでわかりやすいし。
つまり誰しもパソコンさえあれば無料でハイレベルな大学の講義を受講できるようになったということ。これによってより世界的な人材流動が進むのではないか。
それはさておき、そんな様々な講義を眺める中でiTunesのランキングのトップになっている講義を発見。
それが「Justice with Michael Sandel」。当時は「DLランキング1位だからおもろいんだろうなー。英語の勉強に聞いてみるかー。」程度の動機でDL。しかしその直後同じ講義風景をNHKで発見。それが「ハーバード白熱教室」。まさに僕がDLしたその講義である。
どうやらこのMichael Sandelはちょっとしたブームになっているらしい。そんな矢先に本屋で発見したのがこの「これからの『正義』の話をしよう」だった。「本にもなってんのか!」と驚きつつ数日後にAmazonで購入。
本書は身近だったり身近じゃなかったりするあらゆるテーマに対して、「何が正義か?」を問う。
そのテーマは、
「マイケル・ジョーダンの高い給料って正しい?」
「徴兵と志願兵、どっちが正しい?」
「代理出産って正しい?」
などなど、確かに言われてみればうーむと唸る身近だったり身近じゃなかったりするテーマ。
あらゆるテーマにおいて何が正義か?という問いに関しては当然模範解答なんてものはなく、社会文化宗教の影響を受けたり受けなかったりすることで個々人によってその正義感は異なる。
この本の良著たる所以は決して著者の正義感を強引に押し付けることなく、過去人類が連綿と積み重ねてきた正義に対するアプローチを丁寧に整理して解説してくれるところ。曰く、正義に対する考え方は「幸福」「自由」「美徳」のいずれかに立脚する形で展開され、「幸福」についてはベンサムやミルが、「自由」についてはロック、カント、ロールズ、そして「美徳」についてはサンデル自身が支持している。
これらの人物の名前は高校の授業で見聞きしたことはあったが彼らがどういう思想を抱いているのかについては馬耳東風だった僕にとって、本書はいい教科書となった。(読み進めてくうちにどんどん難解になってくけど。)
さて、コミュニタリアニズムを信奉するサンデルに対して僕は比較的リベラリズム寄りだが、ここで述べたいのは各思想の優劣ではなく「自分の思想を理解することの重要性」と「相手の思想を理解することの重要性」だ。
そもそも哲学とは判断の際に拠って経つ自分の立場を明らかにすること。
それは就職をすべきかしないべきか?という問いでも今日の夕飯に何を食べるべきか?という問いでも同じ。
人生には無数の「判断」のポイントがあり、そこで判断するためには(できれば「適切な」判断が望ましいけど)下記を知る必要がある。
・どういう選択肢があるか
・自分はどの選択肢を望んでいるか
・それはなぜか
さらに自分以外の他者との議論や交渉、場合によっては生活という状況においては上記に加えて、
・相手はどの選択肢を望んでいるか
・それはなぜか
という点も理解する必要がある。
前三者は就職活動において所謂「自己分析」と言われるもの、これが即ち「哲学」なのではないかと思う。
でもこれって相当に難しい。自分のことなんてよくわからないので。さらに他人のことなんてなおさら。
そのために本書が扱う「政治哲学」という分野はより難解なものになる。
例えば、第二次世界大戦における広島長崎への原爆投下は是か非か。
日本人でも知らない人は少なくないと思うが、この問いについて、日本人とアメリカ人の考え方は大きく違う。
日本人の多くは「非」の立場だ。その大きな理由は「多くの命が失われたから」。
不必要な人命の簒奪は善悪を論じるまでもなく悪であり、さらに当時の日本は既に瀕死の状態であったため原爆の投下による一般市民の殺戮は「不必要」だったとの立場。多くの日本人は当然のようにこう考えるし、当たり前すぎて他に選択肢があることに思いもよらない。
一方アメリカ人は「是」の立場。
原爆を投下したからこそ戦争が早期に集結し、それ以上の犠牲を出すことを食い止めることができた。逆に言えば、このような措置をとらなければ戦争は長期化泥沼化し、双方により多くの犠牲者が出た。従ってアメリカは依然として原爆投下について日本に謝罪していないし、多くのアメリカ人は正しい判断だと考えている。
この議論における観点は色々ある。例えば、どちらも人命の量を基準に考えている。
ただし日本の視点は短期的に失われた人命の量、アメリカの視点は長期的に失われる蓋然性の高い人命の量だ。長期的な視点はそれぞれの視座、持つ情報、解釈によって異なる。日本人が言うように原爆なしでも戦争は終わっていたのか、アメリカ人が言うように泥沼化したのか。そんなことは誰にも絶対にわからない。
ただ、お互いの視座を理解し、自分の立場を明らかにすることが重要なのではないかと思う。
それが「哲学」ってもんであり、その「哲学」の教育を早期に国民に施すことが重要なのではないかと思う。
GHQによる陰謀のせいかどうかはよくわからないけど、戦後日本において哲学教育が失われた気がする。
小学校の道徳の授業はホームルームという名の「なんだかよくわからない時間」になっているし、高校の「倫理」の授業はただの暗記科目だ。
結果「ベンサム」「功利主義」「最大多数の最大幸福」という単語を覚えるに留まり、その思想の具体的テーマへの適用方法やそれと対立する思想、そして自分が抱く思想には目を向けず歳をとる。
んで、20代後半から30代、場合によってはそれよりも自我の目覚め、自己の理解は遅れる。選挙権は持ってるのに。
ま、その作業は難解であるが故に苦痛なんだけど、こういう先生がポケットに手を突っ込みながら教えてくれたら興味を持てたんだろうか(笑。
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