久々に所謂「ロジカルシンキング」の本を読んでみました。
「プロフェッショナル原論」のレビューでも述べた通り僕は波頭亮さんの著作が結構好きですが、本書は波頭亮さんの著作の中でもどちらかというと古典でありまた名著に分類される本。
A型の僕としてはそんな本を読み残しているのは少々癪だったわけです。そんな対したことのない理由で本書を手にとりました。
さて、本書はタイトルの通り論理的思考の教科書です。文字通り「教科書」です。
その理由は、本書が論理的思考の実践方法を解くものではなく、どちらかというと「論理的思考とは何か」という解説に着眼して書かれていることです。つまり、本書を読んで「論理的思考とは何か」という点についての理解は深まりますが、日常生活や仕事において論理的思考を効果的に活用するには少々不十分。さらに波頭氏特有の厳密だが難解な表現によって著されているため、恐らく論理的思考の初学者が真っ先に読んでも「?」としかならないような気がします。
論理的思考の実践については、ピラミッドストラクチャーの元祖、バーバラミントの「考える技術・書く技術」や、僕の人生を変えた本の一つである山田ズーニーの「伝わる・揺さぶる!文章を書く
」を読むのが手っ取り早いと思います。
しかしながら、この本の価値は「論理的思考とは何か」という点を解説していることにこそあります。本書で波頭氏は論理的思考を「思考」と「論理」に分け、「思考とは何か?」「論理的とは何か?」というそれぞれの定義について解説しています。誰しもが普段何気なく実行している「思考」という行為の定義を改めて吟味してみると、自分の思考回路がどのようになっているかを知るいい機会になるのではないでしょうか。一見情緒的とも思える「思考」という行為は突き詰めれば「0か1か」の処理であり、それはつまり「人間の思考はデジタルである」ということを示しています。僕が攻殻機動隊の世界を単なるScience Fictionではなく近未来の現実だと考える理由はここにあります。思考がデジタルであるならばそれは電子化が可能であり、つまりバックアップとリストアが可能になる。バックアップした自分の思考を脳以外の外部記憶媒体にリストアした場合、それは「自分」が複製されたことを意味する。 その状況下で「自分」を規定するものは何か、これが僕が捉える攻殻機動隊のテーマです。
話が逸れました。
さて、この「思考」によってもたらされるのが「メッセージ」です。先に挙げた二つの書籍にも本書にも、もしくは他の論理的思考について著された書籍にも通じるのは、「論理的思考」とは所詮「メッセージ=主張の容れ物」であり、「主張を自分以外の他者にとって理解可能にするフォーマット」に過ぎないということ。つまり論理的思考とは「論理的思考の手法さえマスターすればどのような状況においても常に最適解を容易く導けるぜえ!」という便利ツールではない。
主張なき論理的思考は、中身の入っていない缶ジュースのようなものであり、意味がありません。本ブログでも何度か述べていますが、僕がそれに気付くのには20数年の人生を費やしました。気付くまでの20数年間は、誰かがその主張の部分を提供してくれていたため、僕自身がメッセージを生み出す必要性がなかったからです。それは親だったり世間だったりしましたが、「自分が勉強すべきか否か」「進学すべきか否か」「就職すべきか否か」 といった問いに対する解は常に自分以外の他者が自分に変わって埋めてくれていました。
言い換えれば、論理的思考が主張と不可分であるが故に、哲学と論理は不可分なのではないかと思います。論理を行使するためには主張を自分の中に見出さなければならないし、また主張を分析、理解し他者に伝達するには論理が必要となるから。
ただ、自分の主張さえ適切に見つけることができれば、論理的思考はそれを解析、補強し、他者に効率よく伝達するための強力なツールとなります。今働いている会社の外国人社員にも「あなたはいつもストラクチャーで物事を考えるねえ」と言われますが、それ故彼らも僕が何を考えているか、何を伝えようとしているか理解してくれます。
さらに論理的思考は、このエントリーでも述べた通り外国語の学習にも効果的です。十分な文法や論理の知識なくして適切に言語を操ることはできない。逆に十分な文法や論理の知識があれば後は語彙さえ補えば外国人とのコミュニケーションは一層容易になると思います。
このような論理的思考の価値を考えると、なぜこれを日本の義務教育過程で教えようとしないのか、理解に苦しみます。もっとも、僕が義務教育過程にあった頃に本書を教科書として論理的思考について教わっても、これをちゃんと理解できたかどうかはいささか不安が残りますが……。
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